2023年、ブログに書くために、丙午(ひのえうま)について調べたことがありました。私自身は丙午の翌年、1967年丁羊生まれなのですが、早生まれのため学年的には丙午世代に含まれます。あの年は出生数が前年より25%も激減し、私たちの学年は他より1.2クラスほど少なかったそうです。子どもの頃は特に気にしたこともありませんでしたが、「人数が少ない年に生まれた」という事実だけは、なんとなく誇らしいような、居心地が悪いような、妙な感覚として今も残っています。
丙午に「火」のイメージがまとわりついたのは、江戸時代の八百屋お七をめぐる物語と結びついたことが背景にあるようです。井原西鶴の『好色五人女』にも描かれるお七から、「気性が激しい」「男を食い殺す」といった、今聞けばずいぶん失礼な迷信が広まりました。干支の丙も午も「陽の火」を意味するというもっともらしい理屈まで添えられ、私たちの親世代はこれを本気で信じる人が大勢いました。ところが今では、火の強さや午の跳躍力になぞらえ、「エネルギッシュに挑戦する飛躍の年に生まれたわ」と前向きに捉える人もいます。迷信とは結局、その時代の人が何を恐れ、何を願っていたかを映す鏡なのかもしれません。
ところで今年、孫が、姪っ子にも子どもが生まれました。丙午の女の子です。次の丙午は2026年と、以前のブログで自分で書いていたのを見て、まさかその年に自分の家族に丙午の子が生まれるとは思ってもみませんでした。鍼灸師として東洋思想を扱う身としては、昔の人と同じように、私も意味を見出したくなってしまいます。迷信を笑っていた自分も、結局は孫の生まれた年に意味を見出している。そう考えると、なんとも人間らしい話です。困った職業病ですね。
八百屋お七の物語から数百年、かつて丙午に生まれた女の子は、その生まれた年だけで人生を決めつけられました。それが今では「縁起の悪い年」ではなく、「飛躍の年」に生まれた、情熱的で強い行動力を持ち、大きく飛躍する可能性に満ちあふれる子だと言われています。この子たちが大人になる頃には、丙午という言葉すら知らない世代になっているかもしれません。それならそれでいいのです。生まれた年で人生を決めつけられることなく、自分自身で自分の意味をつくっていけばいい。
ただ、火のように熱く、午のように軽やかに、それぞれの道を跳んでいってほしいと思います。私は鍼で体は診られても、未来までは診られません。それでも、この子たちの未来に心から幸あれと願っています。
次回の丙午は2026年、50数年前にまじめに信じられたこの迷信が、3年後世間はどんなアクションを起こすのか。何か起こるのか、それとも全く何も起きないのか。なんだかんだと迷信や占い好きの民族である。どのような答えが待っているのか楽しみにしたいと思う

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