歩くだけなのに忙しすぎる|もはや散歩ではなく修行
最近、歩きながらやっていることがあります。
「ウォーキングです!」
って、、
頭痛が痛い、みたいな話か?
みたいな爽やかな話ではありません。
どちらかというと、歩いているだけなのに脳内が異常に忙しい人の話です。
具体的にはこんな感じ。
→ 次の電柱まで、母趾に体重をのせる。
→ 次の電柱まで、小趾に体重をのせる。
→ 次の電柱まで、踵にのせる。
その次はガニ股。
その次は内股。
さらに軽くお腹を引っ込ませる。
ここで普通の人なら思うはずです。
「おおしたさん、何を目指してるんですか?」
うーん、
私にもよく分かりません。
ただ以前、インナーマッスルや丹田について考えていた時に、自分の中で妙に腑に落ちたことがありました。
、、このブログに書いた感じで、一生をかけて、お腹を軽く凹ませ続けよう。
なんだその飛躍。
でも、わりと本気。
もちろん24時間ずっと腹を凹ませていたら、ただの変な人です。
でも軽く意識するだけで、不思議と姿勢も変わるし、身体の中心も感じやすくなる。
身体って面白い。
ここからさらに忙しくなります
そしてここからさらに忙しくなります。
呼吸。
5歩で吐いて、2歩で吸う。
ベロを上顎にぴったりくっつける。
さらに心の中で唱える。
「生きとし生けるもの全て、幸せでありますように」
瞑想でいうところの、
- anicca(無常)
- present moment(今この瞬間)
- compassion(慈悲)
なんだか全部入りです。
完全に見た目は、ただ歩いているおじさんです。
でも脳内では、結構いろいろやっているんです。
人間の脳はすぐ迷子になる
こんなに感覚へ集中しようとしているのに、人間って気づいたら別のことを考えているんですよね。
- あ、今日あれ返信してない
- あの人の言い方ちょっと…
- 昼なに食べよう
- ラーメンにしようかな
- いや昨日も辛ラーメン作ったな
気づけばいろんな「おおしたさん」が集まり、脳内会議が始まっている。
しかも出席率100%。
何も考えないようにしようと思えば思うほど、妄想は暴走してしまう。
でも瞑想って、「何も考えないこと」ではないと思っています。
むしろ、
- あ、今不安に思ってるな
- あ、今イラッとしてるな
- あ、今妄想で未来に飛んでるな
って気づいて、戻ること。
他人事みたいに眺めること。
それを何度も何度も繰り返す作業。
私はこれを勝手に、
「脳内迷子センターに感覚さんを迎えに行く作業」
と言っているのですが。
なんだか、、、
妄想さんが遊びに来るたびに、感覚さんがいなくなるから。
うん、毎回いなくなる。
そして毎回迎えに行く。
ほんと、子育てみたい。
瞑想は“戻る力”を育てることなのかもしれない
そんなことを考えていると、
瞑想って「無になること」じゃなくて、“戻る力”を育てることなんじゃないかな、って思うんです。
そしてこれ、座らなくてもできます。
歩きながらでも。
最初はこれくらいで十分です。
- 母趾
- 小趾
- 踵
軽くお腹を引っ込める
- 呼吸
- 今ここ
……
たしかに結構忙しいよね。
ただ歩くだけなのに。
でも忙しいからこそ、不思議と「いま」「ここ」にいざるを得ない。
そういえば精神科医の森田正馬先生も言ってますよね。
「目の前の作業に没頭すれば、不安は安らぐ」みたいなことを。
未来の不安や過去の後悔って、案外ヒマな脳が作り出しているのかもしれません。
おすすめです。
ただし、歩きながらニヤニヤしていると周囲から若干警戒される可能性がありますので、その点だけご注意くださいませ。
歩けば室内でも発想はよくなる?
たとえ建物の中であったとしても歩く人のほうが、壁に向かって座っているよりもはるかに発想が豊かで、創造する力がアップする



コメント