テレビや学校で、
「尊敬する人はお父さんです。」
「尊敬する人はお母さんです。」
そんな話を耳にすることがあります。
小学生くらいまでなら、それはとても微笑ましい話です。
でも、大人になってもなお、
人生の判断基準がずっと親にあるとしたら、私は少し心配になります。
親は子どもの人生を支える存在ではあります。
でも、主人公ではありません。
主人公は、子ども自身です。
子どもは成長するにつれて、
親の価値観から離れ、
親とは違う考え方を持ち、
親の知らない世界へ歩いていく。
そうじゃないと困るんです。
だって、親のコピーを育てるために子育てをしているわけではないのですから。
大人になったら、
- 成功したのも自分。
- 失敗したのも自分。
- あの人が言ったから。
- 親にそう言われたから。
- 先生に勧められたから。
もちろん影響は受けます。
でも、最後に「そうしよう」と決めたのは自分です。
これは、なかなか厳しい話です。
私だってそう。
ダイエットが続かないのも。
夜中についラーメンを食べてしまうのも。
「あと一話だけ……。」
そう言いながら韓ドラを見始め、気づけば午前二時。
翌朝、「寝不足なのはアマプラのせい」と一瞬思うのですが、いやいや違う(笑)。
全部、自分でクリックした結果です。
だから私は、
「親ガチャが悪かった。」
という言葉を聞くたびに、少し引っ掛かってしまいます。
環境の影響は、もちろんあります。
でも、その先をどう生きるかは、自分しか決められません。
成功も。
失敗も。
最後は、自分で引き受けるしかないのです。
これは親にも同じことが言えます。
「この子が成功したのは私のおかげ。」
そう思い始めたら黄色信号です。
子どもの成功を自分の勲章にすると、今度は子どもを手放せなくなります。
SNSにもいますよね。
「うちの子、すごいでしょ。」っていう投稿。
でも、その投稿の奥には、
「そんな子を育てた私、すごいでしょ。」
そんな気持ちが、少しだけ透けて見えることがあります。
……まあ、親ですから。
私もそうですし、うれしくなる気持ちは、痛いほど分かります。
でも、その喜びがいつの間にか親自身の承認欲求にすり替わると、話は少し変わってきます。
- 恩を返せ。
- 感謝しろ。
- 親孝行しろ。
そんな見えない鎖が、少しずつ出来上がっていきます。
そんな時、私はいつもスナフキンの言葉を思い出します。
「あんまりだれかを崇拝すると、本物の自由はえられないんだぜ。そういうものなのさ。」

尊敬と崇拝は、似ているようでまったく違います。
尊敬は相手から学ぶこと。
崇拝は自分で考えることをやめてしまうこと。
親も先生も、人生の先輩も。
尊敬することは素敵です。
でも、崇拝してはいけない。
人を信じることと、
自分で考えることは、
ちゃんと両立できるはずです。
親は子どもを育てます。
でも実は、
親もまた子どもに育てられています。
私自身、今思えば、
子どもに教えたことより、
教えられたことの方が、ずっと多かった気がします。
だから子どもたちには伝えたい。
親を大切に思ってくれるのは、本当にうれしい。
でも、親を人生の中心に置かなくていい。
遠慮もしなくていい。
あなたの人生は、あなただけのものだから。
そして親もまた、
子どもの人生を自分の人生にしてはいけません。
それと同じように、
あなた自身の人生もまた、あなたが責任を持って育てていく、大切な子どものような存在です。
あなた自身の人生もまた、あなたが責任を持って育てていく、大切な「子ども」のようなものです。
どうか、大事に育ててください。
そう思えば、
少し離れた距離感こそが、
親子を自由にするのだと思います。
最近、そんなことをよく考えます。
子育てとは、
子どもを自立させることではなく、
安心して親から離れられる土台をつくること。
そして親の役目は、
「帰ってこい」
ではなく、
「いつでも帰っておいで。」
そう言える場所であり続けること。
親は、子どもが飛び立つことを喜び、疲れたら帰ってこられる場所でありたい。
それが、親ができる一番大切な仕事なのかもしれません。


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