この写真は、息子が自衛隊に入隊し、最初の教育隊での訓練を終えた卒業式の日に撮影したものです。
きれいに整頓されたベッド。
ただそれだけの写真です。
けれど私にとっては特別な一枚です。
訓練期間中、息子たちは厳しい規律の中で生活します。
毎朝早く起き、仲間とともに行動し、自分よりも組織を優先することを学んでいきます。
卒業式の日、このベッドを見た時、
「よく頑張ったな」
と胸が熱くなったのを今でも覚えています。
もちろん、ベッドが整っているだけで人間の価値が決まるわけではありません。
私の部屋など、とても人様にお見せできる状態ではありませんし、息子だって休日に帰省すれば、相変わらずソファでゴロゴロしていました。
それでも、このベッドには確かに訓練の日々が刻まれていました。
規律を学び。
仲間を学び。
責任を学び。
そして少しずつ大人になっていった時間です。
親というものは不思議なもので、そんな何気ない風景に子どもの成長を見てしまうものです。
そんなことを思い出したのは、先日あるニュースを目にしたからでした。
立憲民主党の古賀千景参議院議員が国会で、
「自衛隊に行く子どもたちって、経済的に厳しい子どもたちが行くんですよ。豊かな子どもたちは、自衛隊とかなりませんよ」
という発言をし、その後撤回・謝罪したという報道がありました。
発言は失言だったのでしょう。
だからこそ本人もすぐに撤回したのでしょうし、所属政党も処分を行いました。
しかし私は、自衛隊員の息子を持つ父親として、この発言に少し考えさせられました。
なぜそんな言葉が口をついて出るのだろう、と。
平和を願うことと、自衛隊員への敬意は別の話
古賀氏は元音楽教員であり、日教組の中央執行委員も務めた経歴を持っています。
日教組は長年、
「教え子を再び戦場に送るな」
というスローガンを掲げ、反戦・平和運動を推進してきました。
その思い自体は理解できます。
教え子に危険な目に遭ってほしい教師などいないでしょう。
私だって、息子が危険な目に遭うことは望んでいません。
もちろん戦争を望む人はいません。
私もそうです。
戦争などない方がいい。
誰だって平和な世界を願っています。
ただ、その平和を願う気持ちと、自衛隊員への敬意は本来別の話ではないでしょうか。
平和を願うことと、
自衛隊員を軽んじることは違います。
戦争に反対することと、
自衛隊員を見下すことも違います。
むしろ平和を願うのであれば、その平和を支えるために日々訓練し、有事には現場へ向かう人たちに対して、一定の敬意はあってもいいのではないかと思うのです。
少なくとも私は、自衛隊員という仕事に就いた息子を見て、
「大変な道を選んだな」
とは思っても、
「かわいそうな道を選んだな」
と思ったことは一度もありません。
誰かが助けを求めた時に向かう人たち
日本は地震、豪雨、台風など自然災害の多い国です。
能登半島地震でもそうでした。
西日本豪雨でもそうでした。
誰かが助けを求めた時、そこへ向かう人たちがいます。
その任務を担うのが自衛隊員です。
自衛隊というと、どうしても戦争や防衛のイメージが先に浮かぶ方もいるかもしれません。
けれど、多くの人にとっては、災害現場で活動する姿の方が身近なのではないでしょうか。
土砂の中を歩き。
瓦礫を運び。
避難所でお風呂を設営し。
物資を届ける。
そんな姿を、私たちはこれまで何度も見てきました。
そしてその時、自衛隊員は相手を選びません。
救助を求める人がどんな思想を持っていようと。
どんな立場の人であろうと。
国籍がどこであろうと。
目の前に助けを必要としている人がいれば、その人を助ける。
それが彼らの任務です。
私はそこに、自衛隊という組織の強さと誇りを見る気がします。
好きな人だけを助けるのなら簡単です。
自分と考え方の同じ人だけを助けるのも簡単です。
でも、本当に困っている人のために動くというのは、もっと大きな覚悟が必要なのだと思います。
だから私は、その姿に尊さを感じるのです。
自衛隊員はお金だけで続けられる仕事ではない
自衛隊員の多くは決して高給取りではありません。
危険な任務もあります。
厳しい訓練もあります。
それでも続けるのはなぜでしょう。
国を守りたい。
人の役に立ちたい。
誰かを助けたい。
そうした思いがあるからではないでしょうか。
もちろん職業を選ぶ理由は人それぞれです。
経済的事情もあるでしょう。
家族の影響もあるでしょう。
しかし、それだけで説明できる仕事ではないと思うのです。
実際、息子を見ていても、お金のためだけに続けられる仕事ではないことはよく分かります。
訓練で鍛えられ。
仲間と苦楽を共にし。
時には家族と離れて任務に就く。
そんな毎日を支えているのは、給与明細だけではないはずです。
だから今回の発言で残念だったのは、自衛隊員という職業への敬意があまり感じられなかったことでした。
職業に貴賤はありません。
けれど、自ら進んで人のために働こうとする人たちへの敬意は、どんな立場であっても忘れてはいけないのではないか。
私はそう思っています。
「反対」の先に何があるのだろう
もちろん、平和を願うことは大切です。
戦争を避けたいと思うのも当然です。
しかし時々、私は不思議に思うことがあります。
自衛隊に否定的な人たちは、一体何を目指しているのだろう、と。
自衛隊が嫌い。
防衛費は反対。
憲法改正も反対。
武力は持つべきではない。
そうした意見はあっていいと思います。
ただ、その先にある日本の姿が、私にはあまり見えてこないのです。
鍼灸師をしていると、
「肩こりは嫌」
「運動も嫌」
「ストレッチも嫌」
「でも治してほしい」
という方に出会うことがあります。
いや、それはなかなか難しいですよ、と苦笑いすることもしばしばです。
国家も少し似ているところがあるのかもしれません。
戦争は嫌だ。
だからこそ戦争を起こさせないための努力が必要になる。
災害は嫌だ。
だからこそ備えが必要になる。
事故は嫌だ。
だからこそ普段から気を付ける必要がある。
平和もまた、願うだけでは維持できないのだと思います。
親としての本音
私は戦争が好きなわけではありません。
むしろ大嫌いです。
息子が自衛隊員だからこそ、なおさらそう思います。
危険な目には遭ってほしくない。
できれば平穏な人生を送ってほしい。
親としてはそれが本音です。
しかし同時に思います。
もし誰も自衛隊員にならなかったら、いったい誰が災害現場へ向かうのだろう。
もし誰も国を守ろうと思わなかったら、いったい誰がその役目を担うのだろう。
結局のところ、誰かが引き受けなければならない仕事があります。
そしてその「誰か」が、自衛隊員なのだと思います。
仏教でいう「利他」
仏教には「利他」という言葉があります。
他者の幸せを願い、そのために行動することです。
ただし、それは自分を犠牲にすることではありません。
自らを律し、自らを整え、自らを鍛えながら人のために生きる。
その結果として、自分自身も成長していく。
そんな生き方です。
私は自衛隊員の姿に、その利他を感じます。
実際、息子の姿を見ていてもそうです。
入隊前と比べると、驚くほど成長しました。
規律を学び。
責任を学び。
仲間のために動くことを学び。
自分だけでなく、組織全体を考える視点を身につけていく。
親としては、
「そんなことまで考えられるようになったのか」
と驚かされることばかりです。
もちろん自衛隊員も普通の人間です。
若者です。
ゲームもするでしょう。
恋愛もするでしょう。
飲み会で馬鹿話もするでしょう。
休日にはゴロゴロしているかもしれません。
でも、いざという時には制服を着て現場へ向かう。
それは簡単なことではありません。
自分のためだけでは続けられない仕事だと思います。
だから私は、自衛隊員という仕事に敬意を持っています。
人のために働くということ
今回の失言をきっかけに改めて考えました。
平和とは何か。
利他とは何か。
そして、人のために働くとは何か。
医療者も。
介護職も。
教師も。
親も。
そして自衛隊員も。
形は違っても、人のために生きようとする気持ちは同じなのではないでしょうか。
私たちは意見の違う人を批判することは簡単です。
けれど本当に大切なのは、
「その人は誰のために働いているのか」
を見ることなのかもしれません。
少なくとも私はそう信じています。
そして、自衛隊員の父親として。
また、一人の日本人として。
これからも、人のために働こうとする人たちへ敬意を持ち続けたいと思います。
それが平和への一番小さな、そして一番確かな一歩なのではないかと思うのです。


コメント