またしても睡眠の話です。懲りずにどうぞ。ダイヤモンド・オンラインの記事に、眠れなくなる理由の一つとして「周りの人の気持ちを考えてしまうから」とありました。確かに「あの人はどう思っただろう」と考え始めると、頭の中で反省会が始まって閉会しない。そんなときは自分でなんとかしようとせず、記憶の処理を眠っている間の無意識に任せてしまえ、と。考えることの外注、言ってしまえば無意識さんへの丸投げです(笑)。
ところでアドラーは「すべての悩みは対人関係の悩みである」と言っています。実際、相手の気持ちを気にしすぎる人ほど、夜になっても人間関係をああだこうだと考える。「嫌われたかな」「あんなこと言わなければ」と、反省会は延長戦を繰り返し、気づけば朝なんてことも。もちろん優しい人がみんな眠れないわけでも、よく眠る人がみんな薄情なわけでもありません。ただ、好かれようと頑張りすぎるのは思った以上にコスパが悪い。相手は今ごろ爆睡しているかもしれないのに、こちらだけ寝不足では割に合いません。少々薄情でもぐっすり眠るほうが、翌日の自分にも周りにもいい気がします。
では私自身はというと。喘息のときは別として、悩みで眠れないことはほとんどありません。子どもが小さかった頃は、出かける前日に楽しみすぎて眠れない夜が多々ありましたが、中身は遠足前の小学生でしたから、こればかりは仕方ありません。誰かの一言で夜通し考え込むこともここ数年はありません。我ながら図太いのか鈍いのか、はたまた歳なのか。たぶん私は、汲まないのが上手なだけでしょうね。施術中は患者さんの気持ちを全力で汲み取ろうとしますが、院を閉めたら汲み取りも閉店。時間外の気配りはサービス残業になりますので。一人でも平気だし、人がいれば山でも飲み屋でも球場でも初対面と打ち解ける。そんな距離感が私にはちょうどいいようです。
人にどう思われてもいい、と言うと乱暴ですが、正確には「相手の気持ちは相手のもの」と思えるようになった、ということだと思います。アドラーの言う課題の分離というやつですね。TPOはわきまえ、相手も尊重する。本当の気持ちは、分かりようがありません。だから、想像して自分を疲れさせても仕方がない。自分にできることをしたら、あとは相手に丸投げ。そう思えるようになってから、眠りが深くなった気がします。「嫌われないように」と頑張りすぎている人は、たまには「別に嫌われてもいいか」と思ってみるのも悪くない。薄情と開き直りの境界線は、意外とあいまいなのですよ。
そう考えると、歳を取るのも、案外悪くないかもしれません。若い頃なら気になって仕方がなかったことも、「まあ、仕方ない」で布団に入れる。老化ではなく熟成、と言い張っておきます。ただの鈍化かもしれませんが(笑)。もっとも、眠れない理由は気持ちだけとは限りませんし、性格まで変える必要もありません。だからまず反省会を早めに閉会し、続きは無意識さんへ。それでも身体の緊張が抜けず眠りにくいときは、鍼灸がお役に立てることもあります。人の気持ちまで鍼でどうにかはできませんが、「身体まで一緒になって緊張する」のを休ませることならできますから。
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