仕事は効率、人は傾聴。混同すると嫌われる

雑感

効率のいい人は「完成形から始める」のだそうです。作業に入る前に仮の結論を決めておき、途中の迷いを削っていく。そういえば以前の私は、東洋医学でいう四診――望診・聞診・問診・切診――を一通りこなしながらも、望診・聞診・問診の段階で、もう「これは肝虚で治療しよう」と結論を決めていました。切診も、その結論を確認する作業になってしまうことが多かった。これは四診が悪いわけではありません。私の診察では、望診・聞診・問診である程度治療を組み立て、最後に切診で体に触れて確認する。そういう流れでした。ただ、体に触れる前に答えを決めてしまうことが癖になっていたのは、いささか問題でした。他の場面でも、話を聞いているようで、実はもう答えを決めている。そんな態度は、意外と相手に伝わります。患者さんの話が進むほど、表情が曇っていくこともありました。

聞いてもらえた、と感じるのは、単に質問されたからではないそうです。自分の話をちゃんと受け止めてもらえたと感じたとき、人はもう少し話してみようと思うもの。大切なのは質問の数ではなく、話を受け取ったあとに、もう一歩踏み込んで聞こうとすることなのでしょう。「それで、そのときはどう思いました?」「それは大変でしたね。その後はどうなりました?」。そんな質問には、「ちゃんと聞いています」「まだ話を聞きたいです」という意思が乗ります。そうすると、相手ももう少し話しやすくなる。何に対しても先に結論を決めてしまう癖がついていた私には、なかなかできないことでした。最短距離で話を終わらせたい人間には、正直かなり面倒なやり方です。

つまり、効率と傾聴は、逆方向を向くことがあります。効率は「判断を減らす」ことで速くなる。でも傾聴は、「判断を保留する」ことで深くなる。もちろん、仕事にも人への配慮は必要ですし、人との会話にも効率は必要です。ただ、その二つを同じ回路で処理してしまうと、どこかで無理が出る。仕事は効率、人は傾聴。混同すると、患者さんに嫌われます。実体験です。放っておいたら、効率だけで人を遠ざける名人になっていたと思います。そこに気づいてから、少しずつ意識するようになりました。

だから今、鍼灸院の問診では、あえて「判断を保留する」ことを意識しています。「いつから」「どんな痛み」「何をしたときに」。症状だけなら、これで十分かもしれません。でも、答えが見えても、そこで質問を止めない。「それ、地味につらいですよね」「その痛みで、何かできなくなったことあります?」。あえてもう一歩踏み込むようにしています。症状の情報としては余計に見えることもありますが、その人全体の状態を診るには、こうした話も大切です。症状だけを追いかけていると見えてこないものが、話を聞くことで見えてくることがあります。

効率よく生きたい日と、誰かにちゃんと話を聞いてほしい日は、たぶん交互にやってきます。患者さんに限らず、家族でも友人でも同じかもしれません。次に誰かと話すとき、結論を急ぐ前に、ひとつだけ質問を重ねてみる。それだけで、「話しやすい人」側に一歩近づけるかもしれません。私にも、症状だけでなく、その裏にある「地味につらい話」もぜひ聞かせてください。結論を急がない鍼灸師も、たまにはいてもいいはずです。効率だけを追いかけてきた私が言うのもあれですが、少なくとも失敗例としては、それなりに信頼できると思っています。


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