親ガチャ外れで終了?|『運と適応』から考える、生き延びる人の共通点

親ガチャや中学受験を通して「運と適応」、生きる力について考えるイメージ 考えていることについて

どこに生まれるかは全て運。

これはもう、どうしょうもない真実。

裕福な家、貧しい家。
都会、地方。
両親が仲良い、悪い。
健康、病気。
平和な国、戦争している国。

生まれる前に、

「この家庭でお願いします」

なんて、Amazonで注文するみたいに選べるわけがない。

なのに最近、なんでもかんでも「親ガチャ」みたいな言葉で片付ける空気がある。

あの言葉、どうも苦手だ。

「外れを引いた。だから自分はこうなった」

……って、それ、人生のハンドルを開始3秒で窓から投げ捨ててる感じがして。

しかも高速道路で。

いや、まだ発進してもないんだけど。


もちろん、スタートラインの差はある。

これは否定しない。

むしろ、ないほうがおかしい。

ただ、出口治明先生の

人生の基本原理は運と適応

という言葉に出会ってから、少し見え方が変わった。

運は選べない。
でも、適応は残されている。

ここ、わりと重要。

知の巨人・出口治明が「人生の基本原理は運と適応である」と断言するワケ

知の巨人・出口治明が「人生の基本原理は運と適応である」と断言するワケ
出口治明氏「ドーキンス『進化とは何か』以来の極上の入門書。」、養老孟司氏「面白くてためになる。生物学に興味がある人はまず本書を読んだほうがいいと思います。」、竹内薫氏「めっちゃ面白い! こんな本を高校...

そういえば昔読んだ本に、こんな言葉があった。

天地が与えてくれためぐり合いは肯定するしかない

たしか松原泰道師の本。

……たぶん。

書き写したノートに出典を書き忘れていて、今となっては完全に「うろ覚え名言集」状態なんだけど、それでも妙に残っている。

結局、人は与えられた条件の中で生きるしかない。


親ガチャという言葉を聞いて、真っ先に思い浮かんだのが首都圏の中学受験。

「公立は荒れてるから私立へ」

うん、わかる。

めちゃくちゃわかる。

子どもたちが通った小学校は、中学受験する子がかなり多かった。

公立小学校なのに、多分8割くらい受験してたんじゃないかな。

だから普通に流されかけた。

受験しないと人生終わる感

あの独特の圧は、経験した人ならわかると思う。

親として、少しでも良い環境を与えたい。

それ自体は、とても自然な感情だと思う。


ただ、少し意地悪なことを言うと――

私立に行けば人生完成なら、有名中高一貫校の卒業式で全員が笑顔で人生クリアしてるはずなんですよね。

でも現実は、そんなRPGみたいなエンディングは流れない。

東大でも、慶應でも、早稲田でも。
スポーツでも、音楽でも。

折れる人は、ちゃんと折れる。

しかも、びっくりするくらいポッキリと。


でも、人は成功した人の話ばかり聞く。

キラキラ経歴。
年収。
港区。
タワマン。
そして謎のアサイーボウル。

SNSって、人生の「ハイライト編集版」だから。

「そのためには小学校からお受験しておいた方がいいんじゃ……」

そう思ってしまう気持ちも、すごくわかる。

でも、裏で静かに消耗している人の話は、あまり流れてこない。

実際、東京にいた頃、そういう人をたくさん見た。

「勝ち組コース」に乗ったはずなのに苦しそうな人。

逆に、レールから外れたのに、生き生きしている人。

同じ家庭、同じ教育、同じ学校でも、

「あの経験があったから今がある」

と言う人もいれば、

「あの学校のせいで人生壊れた」

と言い続ける人もいる。

環境は同じ。

なのに、物語が全然違う。

この差って、なんなんだろう。


極端な話をすれば、ガザで生まれる人もいる。

歴史を遡れば、ヴィクトール・フランクルのように極限状態を生き延びた人もいる。

フランクルは言った。

人間の根っこには「意味への意志」がある、と。

人は快楽や成功だけでは踏ん張れない。

「自分の人生には意味がある」

そう感じることで、なんとか立ち上がれる。

逆に言えば、どれだけ恵まれていても、意味を失えば崩れる。

……いや、簡単に言うなよって話なんだけど。

実際、ほぼ無理ゲー。

でも、「意味を探そうとする姿勢」そのものが、人をギリギリのところで支えるのもまた事実なんだと思う。


ここで少し、親の立場に戻る。

子どもに、できるだけ安全な道を歩いてほしい。

失敗しないようにしてあげたい。

わかる。

めちゃくちゃわかる。

でもその過程で、

「適応する力」を育てる機会まで削ってないか問題。

転ばないように地面を全部クッションにした結果、転び方がわからない。

最近これ、わりとある気がする。

お金もある。
環境も整ってる。
誰が見ても恵まれている。

でも、満たされていない子は普通にいる。

一方で、窮屈さに耐えきれず飛び出した子が、結果的にめちゃくちゃ生き生きしていることもある。

結局、

「どこにいるか」より、

「どう意味づけして生きるか」。

こっちの比重が、案外大きい。


カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を読むと、軽々しく「環境が大事」なんて言えなくなる。

逃れられない運命。
死と隣り合わせ。

それでも人は、恋をして、笑って、思い出を抱えて生きる。

あれを読むと、

「ああ、人間って、どんな場所でも生きる意味を探そうとする生き物なんだな」

と思う。


仏教では「諸行無常(anicca)」と言う。

全部、変わり続ける。
そして終わりが必ず来る。

良い時も。
悪い時も。

だから結局、最後に残るのは、

今この状況で、自分はどう生きるか

という問いだけなんだと思う。


……と、ここまで偉そうに書いておいてなんだけど。

僕も普通に愚痴るし、機嫌悪い日は顔に出る。

院で、

「あ、今日の院長ちょっと黒いな」

って日、普通にある。

だいたい寝不足。

…いや違うな。
寝ても黒い日あるな。

生まれつきの仕様かもしれません。

すみません。

でも、それでも思う。

与えられた場所で、どう意味を見出すか。

これは誰にも代わってもらえない宿題。

私立に行っても人生は完成しないし、公立だから絶望が決まるわけでもない。

就職もそう。

世間が「良い人生」と言うものが、本人にとって幸せとは限らない。

受験も就職も、

人生そのものじゃなくて、ただの選択肢のひとつ。

本当に大事なのは、

「何があっても、なんとか生きていける力」

を育てることなんじゃないかと思う。


これがダメなら、次。

転んだら、また別ルート。

そして親は、

「何があっても、あなたの味方だからね」

それを伝え続けること。

そのためには、親自身が楽しんでいなくちゃ。

……いや、言うのは簡単なんだけどね。

親も人間なので。
普通にブレる。

とにかく、ハンドルだけは捨てないこと。

道を間違えてもいい。
寄り道してもいい。
エンストしてもいい。

僕なんて、人生で何回エンストしたかわからない。

……いや、今もちょくちょくエンストしている。

でもハンドルを握っている限り、案外なんとかなる。


運は選べない。

でも、適応する力は育てられる。

人生って、何が起きるかわからないものだから。

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