「うちの子、なんでできないんでしょう」。施術室でそう言って肩を落とす親御さんは、少なくありません。毎日お子さんのことを考え、調べ、先回りして動いている方ほど、「どう言ったら伝わるんでしょう」といった言葉が出てきます。愛情があるからこその問いです。ただ、この問いは、答えが出ないまま、親子をお互いに苦しめる入口になることもあります。だから、少しだけ立ち止まって、一緒に考えてみませんか。
自分の子どもだから、言わなくてもわかるはず。これだけ言えば、大事に考えてくれるはず。そう思うのは、ごく自然なことです。十月十日をともにした、あるいは毎日顔を合わせてきた相手に、人は知らず知らずのうちに「自分に近い存在」や「自分自身を投影するもの」を期待しますから。期待は愛情の裏返しで、悪いことではありません。ただ、期待が大きいほど、ズレたときのショックも大きくなります。そして親は、そのショックを「この子はおかしい」か「私の育て方が悪い」のどちらかに変換しがちです。どちらも、たいてい不正解です。
考えてみれば、親子でも別々の人格を持った人間です。夫婦でも、親友でも、職場の同僚でも、言ったつもりが伝わっていないことは山ほどあります。かくいう私も、人の気持ちを汲み取れているかと聞かれれば、かなり怪しい。患者さんに「先生、今の話、聞いてました?」と言われたことは一度や二度ではありません。4人の子どもを育てましたが、同じ親が、同じ家で、同じものを食べさせて育てたはずなのに、勉強が好きな子、運動が好きな子、人懐こい子、考えすぎる子と、全員、驚くほど別の人間でした。人の体を30年近く見てきた鍼灸師でも、わが子の頭の中は覗けません。大人の私でもこの有様なのに、まだ人生経験の浅い子に「大人を察して」と求めるのは、さすがに酷な話です。
そんな私ですが、親御さんにお伝えしていることがひとつあります。それは、子どもを理解しきろうとするより、「理解できない部分がある」と認めるところから始めてみませんか、ということです。子どもは親の持ち物ではなく、親とは別の人生を歩む他者です。そして親もまた、子どもとは別の道を歩く他者です。同じ他者同士、考えていることがわからなくて当然。わからないから、聞く。わからないから、考える。わからないから、待つ。そう思えると、「なんでできないの」が「そんなことを考えてたんだ」「どうしたら生きやすくなるだろう」に、少しずつ変わっていきます。もちろん、変わらない日もあります。それでも、問いの向きが変わるだけで、親子の空気は、ほんの少し軽くなります。
発達の特性があるお子さんの場合、この「わからなさ」が、より大きく感じられることもあるでしょう。それでも、出発点は同じです。親子だからといって、何もかもわかり合う必要はありません。わからない者同士が、同じ部屋でご飯を食べて、同じ布団で眠れていれば、それで上出来です。わからなさを抱えたまま、一緒に暮らして、お互いの生きやすさを探してみる。それはお子さんの生きやすさを探すことであり、親御さんご自身の生きやすさを探すことでもあります。その営みが、私が大事にしている「戻る力」を育むことにつながるのではないかと思っています。もし今、心配しながら子育てをされているなら、その心配は、お子さんを大事に思っている証です。それだけで、もう十分です。
発達障害・子育てエッセイ①
広島・府中町の七施鍼灸院は、子育てのお悩み、小児はり、疳の虫、不登校、発達の特性のあるお子さんのご相談をお受けしています。
お子さんの睡眠やお腹の調子、体の緊張、親御さんご自身のお疲れなど、お困りごとを一緒に考える場所でありたいと思っています。発達障害そのものを治すというお約束はできませんが、お子さんの心身の状態に合わせて、できることを一緒に探します。診断や療育が必要な場合は、小児科や専門機関にもご相談ください。初診歓迎・予約優先です。



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