人生のロールモデルというと偉人を思い浮かべがちですが、実は案外身近にいるものです。
確かに、
人生のロールモデルと聞くと、本に出てくる偉人とか、SNSでキラキラしてる人とか、TEDで流暢に英語を話して拍手を浴びてる人とかを思い浮かべがち。
でもね。
いやいや、案外どうして。
めちゃくちゃ身近に、
しかも普通の顔して、
「あ、これ最終形態じゃん」みたいな人が、普通に転がっている。
最近も、そんな人に出会ってしまった。
近所の変人というロールモデル
80歳にして、
いまだ大好きフェリーに乗りまくり、昨年だかは小笠原まで足を伸ばしたとか。
バイクで北海道、
地震があればボランティア。
自転車であちこち巡り、
アクティビティ必須のため、毎日しっかり坂道を歩く。
そんでもって、
お寺を借りて人が集まる場所まで作ってしまう。
……ちょっと待って。
これ、20代で読む自己啓発本より、よっぽどエグくない?
「もう歳だから」
「体が言うこときかんから」
なんて言葉、
この人の辞書には、どうやら最初から入っていないらしい。
しかも、
「民生委員やりたいんだけど、75歳までなんだよね。年齢制限あるんだよね。でもなり手いないから、できそうなんだよね」って。
いやいやいや、
どこまで人のために尽くす気なんですか。
っていうか、民生委員って年齢制限あったんだ。
老後=縮こまる、じゃなくて、
老後=自由度MAX、の実写版。
人生の後半、こうありたいランキング、
しれっと上位に食い込んできやがった。
雲取山で会った裸足のおじさん
以前ブログにも書いたんだけど、
雲取山の帰り道で遭遇した、裸足のおじさんの話もここで。
広島の花崗岩みたいな丸っこい石じゃなく、
あのゴツゴツ岩だらけの奥多摩を、裸足で歩く姿にまず感動。
帰り道で再会した時には、
山道途中で折りたたみ座椅子にもたれ、
足を投げ出し、ストロング缶チューハイ500ml片手にくつろいでいた。
……かっこよすぎない?
使用は旧式帆布製キスリングザック。
高性能ギアも、最新アウトドアファッションも、一切なし。
ただただ、
「山と仲良しな身体」。
そこにストロング缶500mlぶっ込んでくるって、もう完成形以外の何物でもない!
行きに声をかけすぎて怪訝な顔をされたにもかかわらず、帰りもめげずに声をかけた私も、なかなかのメンタルだと思う、どこかで言っておこう。
結果、
足も触らせてもらえたし、
理想の足の写真までゲット。
「足ってね、怪我をしながら育つんだよ」
なんたる名言!
「ですよねー!!」
「やっぱりそうですよねー!!」
一期一会、
名前も連絡先も交換してない出会いだったけど、この日を境に、人目を気にせず裸足練習が始まったのは、言うまでもない(怪我しまくりだけど)。
正直、
「ここが痛い」
「あそこが辛い」
「年金が少ない」
「あのサプリ、まだ飲んでないの?」
「消費税くそくらえ」
「社会保障料ずっと払ってきたのよ」
「子ども一人で騒ぎすぎ」
そんな話ばかりしている、
自分のことしか考えていない年配の人も、確かに多い。
でもね、
実は私、そういう人を実際にはあんまり知らない。
なぜならね、
そういう気配を感じた瞬間、アンテナをすっと引っ込め、物理的にも精神的にも距離を取るから。
すると不思議なことに、
面白い人、軽やかな人、身体も人生も使い切ってる人ばかりが集まってくる。
まぁ、
鍼灸師として「辛い人を寄せつけないオーラ」を纏うのはどうなの?という説があるのは、重々承知してますが。
人は出会う人で変わる
「この人ができるんなら、私もできる」
この感覚こそが、ロールモデルの力。
子育てでも、
妊娠・出産でも、
運動でも、勉強でも、
生き方すべての、静かな原動力になる。
結局、人生は、
どんな人に出会うか。
そして、
どんな人に近づきたいか。
あの親鸞さんだって、法然上人に出会ってからだ。
「たとえ法然上人にすかされまいらせて念仏して地獄に落ちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ」
って、どんだけ惚れ込んでる、ちゅうねん。
すごいロールモデルを見つけ、自分軸を掴み、法然上人を見つけた親鸞、ほんとよかったね。
アンテナを張りまくっていれば、
面白そうな人生を生きてる人は、ちゃんと寄ってくる。
もちろん、
自分軸で生きるのが前提だけど。
人生のロールモデルは案外近くにいる
人生のロールモデルは、
偉そうな場所にはいない。
案外そこらへんで、
缶チューハイ片手に座っていたりする。
なので私は今日も、
近所の変人探しをしながら歩くことにする。
(これ、意外と人生の大事な趣味だと思う。)

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