先月の書いたのと、だいぶ重複しちゃうけど、、
今回はちょっとうさん臭く、宗教ちっくな話をば。
でもご安心ください。
壺は売りませんので。
(※今のところは(^◇^;))
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日本人の多くが、なんとなくでも触れている浄土経の教え。
ざっくり言うと、
どんな人でも、
修行してなくても、
煩悩まみれでも、
阿弥陀さまが
「必ず浄土に連れていく」って約束してくれている。
→ いや、太っ腹すぎません?
審査なし。
面接なし。
保証人なし。
実績ゼロOK。
なんなら煩悩フル装備で通過可能。
どこのサブスク、この神対応。
レビュー★5、口コミ「救われました」多数。
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で、
そんな話はさておき。
私たちは全員、
「必ず死にます」という宣告を受けて生まれてきます。
哲学者の中島義道も、
「死ぬ存在に幸福はあり得ない」的なことを言っていました(たぶんそんな感じ)。
これ、わりとわかる。
ふいに来るんですよね。
・夜、布団に入った瞬間
・運転中、信号待ちのとき
・子どもが寝たあとの静けさの中
理由もなく、
「死ぬの嫌だな」
「でも全員もれなく死ぬんだよな」
っていう、局地ゲリラ豪雨型・厭世モード。
晴れてたのに急にザーッ。
あれ、ほんと何。
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しかも不思議なことに、
「今を大切に!」
「人生楽しもう!」
って言ってる人ほど、ふとした瞬間に影、差していません?
あの一瞬の“素”の顔。
あれ、見逃さないタイプです、私。
(性格はあまり良くない自覚あり)
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そんな中で出会った浄土真宗。
これ広めたのが 法然、
さらに振り切ったのが 親鸞。
門徒になる気はない。
ただ、世の知識人が親鸞さん好きが多いので、なんとなく距離観ゼロでは眺めています。
やってること、シンプルすぎ。
「南無阿弥陀仏って言えば、それだけでOK」
いやいやいや。
それだけ?
・徳ポイント不要
・修行ログインボーナスなし
・課金もたぶん不要
それで救われるって、逆に信用できないレベル。
でもよく読むと、
「努力できる人はやればいい」
「でもできない人も、まとめて救う」
っていう設計。
これって、現代人に刺さるやつかも。
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で、ここで私がちょっと面白いと思っているとこをば。
生きてるうちに浄土行き確定、ってことは、
今この瞬間も私たちは“死に向かってる途中”じゃなくて、
“すでに死を含んだ状態で生きてる”とも言えるかな、って。
つまり、
生と死は分断されてるんじゃなくて、一本の線でつながってる。
境界はたぶん幻想。
「生きているけど、すでに少し死んでいる?」
この考え方、
怖いというより、ちょっと楽になる感じがありませんか。
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ところで最近、車でずっと流してる曲があります。
「ゴルトベルク変奏曲」っていう曲
作曲は ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。
この曲で不思議だなと思うのは、高音と低音が、同じピアノから出ているとは思えないほど、まるで別の楽器のように響くところ。
鍵盤は一本でつながってるのに。
でも耳には、完全に分断されて届く感じ。
絡み合って、
溶け合って、
でも完全には混ざらない。
ちょっと恍惚。
ちょっとトランス。
(※もちろん安全運転を心がけています(笑))
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これ、
生と死に似てるなって思うんです。
本当は切れてない。
ずっとつながってる。
でも私たちは勝手に、
「ここまでが生」
「ここからが死」
って線を引いて、怖がってるだけ。
実際は、
同じ流れの中の“違う響き”なだけかもしれません。
不協和音にも聞こえるし、
めちゃくちゃ美しくも聞こえる。
それ、捉え方次第なのかなって、。
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で、ここからちょっと強引に東洋医学の話に繋げちゃいます。
こういう
・理由のない不安
・なんとなく落ちる感じ
・思考が止まらない状態
これ、実はけっこう“体”に出てます。
例えば、
・寝ても疲れが抜けない
・朝から胃が重い
・呼吸が浅い
・みぞおちが固い
・肩がずっと緊張してる
こういう状態。
東洋医学ではこれを
「気の巡りの滞り」として見ます。
つまり、
不安=メンタル弱い
じゃなくて
不安=巡りが悪い
という見方。
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患者さんも、
「特に理由はないんですけど、不安で…」
「考えすぎて眠れなくて…」
って、はっきりとは仰らなくても、そんな雰囲気を醸し出している方、けっこう多いです。
で、そういう方に、
・背中やお腹の緊張をゆるめる
・呼吸が入りやすい状態をつくる
・頭の過剰なスイッチを落とす
みたいな施術をすると、
「なんか、どうでもよくなってきました」
ってな感じで言われること、多いです(笑)
これ、わりと本質かもしれませんね。
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考えても抜けない不安は、だいたい考えても抜けません。
そういうときは、
一回あきらめて、
体からゆるめる。
これ、かなり有効だと思うのですが、いかがでしょうか。
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どうあがいても、死は確定しています。
ならば今日も、
晩ごはんを作り、
洗濯物を干し、
腰が痛いとぼやきながら、
淡々と生きる。
正岡子規が、
「悟るって、死ぬと分かっていても、平気で生きていくこと」と言っているように。
それで浄土行き確約済みなら、コスパは悪くないかもしれない、なんて思いながら。
正しさの先にあるもの — どうせ死ぬ、それでも生きる(正しさのその先へ4)
悟りといふ事は、如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていた。
それは間違いで、悟りとは、如何なる場合にも平気で生きて居る事であった
—『病牀六尺』より—
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まだ信心は浅いし、門徒になる気もありません。
でも、
「あんたは死ぬまで生きてりゃいい。あとはこっちで何とかするから」
ってな阿弥陀様のような存在がいるなら、ちょっと肩の力が抜けて生きていける感じがします。
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七施鍼灸院では、痛みだけでなく、
・不安感
・不眠
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・なんとなくの不調
といった「言葉にしにくい不調」にも対応しています。
「これ、病院行くほどでもないんだけど…」
そんな状態こそ、
一度ご相談ください。
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もはやなんでも治療します!





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