ヴィパッサナー瞑想とは?10日間体験して分かった3つの本質(無常・今ここ・慈愛)

ヴィパッサナー瞑想で今この感覚に意識を向ける瞑想者のイラスト 考えていることについて

これまでに2度ほど、10日間のヴィパッサナー瞑想合宿に参加したことがあります。

いずれも東京にいた頃の話で、千葉での開催でした。

なので、広島からわざわざ無言修行に通っていたわけではありません(笑)

千葉で10日間、
ただしゃべらずに座っている。

せっかくの10日間をそんなことに使うの?
と思う方もいるかもしれません。

いや、分かります。

我ながら、
「なんでそんなことに興味を持つんだろう」と、自分でも時々よく分からなくなります。

(まあ、人生ずっとそんな感じですが)

10日間、誰とも話さない。
目も合わせない。

スマホなし。
読書なし。
娯楽ゼロ。

文明、全返却。

あるのは、
「座る私」と、「全力で帰りたがっている私」だけ。

足は痛い。
股関節はしびれる。
腰は悲鳴。

頭の中は、
妄想・反省・後悔で大渋滞。

「股関節、もう無理」
「帰りたい」
「何しに来たんだっけ?」
「カレー、食べたい」

正直、
悟りより雑念のほうが圧倒的に多い10日間(笑)

でも、たまに変な時間が来るんです。

思考が止まる。
評価も判断も消える。
脳内ナレーション、強制終了。

残るのは、
ただの“からだの感覚”。

痛みも、
呼吸も、
重さも、
温かさも、

ただ「ある」みたいな。

良いも悪いもない。
意味もオチもない。

でも、これが妙にいい。

地味なんだけど、忘れられない。

股関節は痛いし、
妄想は何度もこちらのメンタルを食い散らかしてくる。

それでも、もし10日間の時間があったら、旅行よりも、またこれに行きたいと思っている自分がいるんですよね。

うん。

我ながら、意味がわかりません。

目や耳から入る外の情報を遮断すると、
触れる・感じるといった“内なる感覚”が、驚くほど際立ってくるということ。

ただ身体の感覚に集中することが、
これがなかなか心地良い。

というわけで、

ポンコツ気味の鍼灸師が、
2回の沈黙と無数の股関節トラブルから学んだことが、この3つ。

  • アニッチャ(anicca)/すべては移り変わる
  • 今この一瞬(present moment)
  • 慈愛(compassion)

■ すべては移り変わる(anicca)

この世に、変わらないものはない。

股関節の痛みも、
カレー欲も、

そのうち終わる。

生・老・病・死。

この四苦の中でも、特に「死」を理解してしまっている人間って、ほんと厄介。

「死にたくない」と思いながら、「絶対死ぬ」ことを知っている。

そりゃあ、情緒もブレますわいな。

悩みのほとんどは、現実というより“脳内ドラマ”。

しかもだいたいバッドエンド。

勝手に脚本を書いて、勝手に落ち込んでる。

忙しい。

だから人は、

宗教とか、
道徳とか、
「何か信じられるもの」を探すんでしょうね。

それは自然。

でも、正直ちょっと疲れる。

だからこそ、

不安も、
心配も、
喜びさえも、

「必ず終わる」こと体で知ると、少し楽になる。

※ ただし深掘りしすぎると、「生きるのも終わるよね」に突入するので注意。

(私は何度か落ちました)

■ 「今」に戻る(present moment)

ヴィパッサナー瞑想は、
「今この瞬間の感覚」に戻る練習。

過去でも未来でもなく、

今、息してる。
今、座ってる。
今、しんどい。
今、股関節が文句言ってる。

それをただ観察する。

仏教では、

欲。
怒り。
迷い。

この「三毒」が、人間を振り回すと言われます。

まあ、ほんとその通り。

人間、だいたいずっと何かに振り回されてる。

だからこそ、

そこから「戻る」練習をしておく。

これ、かなり大事なんだと思います。

瞑想って「無になること」じゃなくて、“戻る力”を育てることなんじゃないかな、って思うんです。

確かに、

「今」だけ見ていると、
心はわりと静かになる。

不思議なくらいに。

死も同じ。

死んだ“後”を考えるから怖い。

「今の生」を一瞬ずつ生きられたら、不安はもう少しマシになるのかもしれません。

※ここ、実はまだ全然わかってません。

でも、かなり大事そうな気はしています。

■ 慈愛(compassion)

これ、かなり大事。

というか、

ヴィパッサナーって、結局ここなんじゃないかとすら思っています。

瞑想って、

「自分に集中するもの」

みたいに思われがちだけど、
それだけだと、わりと危ない

compassion(慈愛)。

見返りなしで、

「すべての存在が幸せでありますように」と願う心。

May all beings be happy.

生きとし生けるもの、
みんな幸せでありますように。

人にも。
動植物にも。
自然にも。

そしてもちろん、
ポンコツな自分にも。

これ、地味に効きます。

心のストレッチみたいな感じ。

正直、

これを真ん中に置かないと、

瞑想って、
「自分を見つめすぎてしんどくなるゲーム」

になりがちです。

なので、

考えすぎた頭を、いったん脇に置いて、

「今、この感覚」に戻る。

すると、
心は勝手に整い始める。

頑張らなくていい。
悟らなくていい。

(そもそも悟れてないし、悟れるとも思っていないし、悟る必要すらないと思っている)

ただ、

今の感覚に気づくだけ。

それだけで、
人は意外とちゃんと生きられる。

……少なくとも、
股関節が許す範囲では。

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