5月10日の日曜日、 弥山 で、歩き瞑想を兼ねた4往復登山をしてきました。
距離にして25.27km。
獲得標高は2,325m。
朝7時半に登り始め、終わったのは15時半。
休憩は山頂5分、麓5分だけ。
ほぼ9時間、ひたすら歩き続けるという、「休日の使い方として本当に正しいのか?」と問われると、ちょっと返答に困るタイプの遊びです。
しかも今回も、ゼロシューズ・ジェネシスなるソールが恐ろしく薄っぺらいワラーチ。
「それ、足裏大丈夫なんですか?」と時々聞かれますが、ご安心ください。
ちゃんと痛くなります。
健康アピールなのか、ただの変態登山記録なのか、自分でも境界線が曖昧です。
ただ、今回の目的は「速く登ること」でも「己に勝つ!」みたいな体育会系テンションでもありません。
とにかく長く歩くこと。
そして、自分の感覚に丁寧に気づき続けること。
これが今回のテーマでした。
登山というと、「自然に癒されました✨」みたいな話になりがちですが、ロングウォークは実際そんな綺麗な話では済みません。
疲れるし、腹も減る。
初っ端から「あとどれくらい?」が頭を支配し始める。
軽快に抜いていくトレラン勢を見ては、「若いっていいな」と、急に親戚のおじさんみたいな感情になる。
つまり、煩悩がめちゃくちゃ出てくるわけです。
仏教では、欲・怒り・迷いを「三毒(さんどく)」と呼びます。
- もっと楽したい
- イライラする
- 不安になる
- 見栄を張る
- 比べる
人間らしいと言えば人間らしいのですが、放っておくと、心がずっとザワザワしてくる。
山って、その辺りを実に容赦なく炙り出してきます。
- あ、今ちょっと見栄張ったな
- 追い抜き返したいと思ってるな
- “健康そうな鍼灸師”に見られたい欲が出てるな
もう途中から、自分の小物感の観察日記です。
でも、この「気づく」というのが大事なんですよね。
ヴィパッサナー瞑想でも学びましたが、まずは自分の心の動きを“悪者にせず観察する”。
今回はそれを、歩きながら延々と実験していました。
ヴィパッサナー瞑想で学んだことやこれからの日常で意識したいこと
10日間のヴィパッサナー瞑想合宿で学んだのは、「今この瞬間」を身体感覚とともに観察すること。不安や怒りを無理に消そうとせず、「今こう感じている」と気づき続ける。反応する前に観察する――その積み重ねが、自分や他人への優しさにつながるのかもしれません。
やったことはシンプルです。
「感覚に戻る」
歩きながら、
- かかとが上がる
- つま先が離れる
- 地面につく
- 風が気持ちいい
- 汗が冷えてきた
- 足裏がそろそろ文句を言い始めた
そんなふうに、身体の実況中継をする。
……まぁ、本当のヴィパッサナー瞑想は、あんまり言語化しすぎないんですけどね。
そこは“脳内ナレーション多めおじさん”ということでご容赦くださいませ。
で、雑念が出てきても、追い払わない。
- 夕飯何にしようかな
- 認められたいんだね
- 足、痛いなぁ
- なんで4往復なんて始めちゃったんだろう
そうやって気づいて、また感覚へ戻る。
結局、瞑想って「無になること」じゃなく、“戻る力”を育てることなのかもしれません。
さらに今回は、軽いデジタルデトックスも試しました。
宮島口からフェリーに乗る前にスマホの電源を切り、帰るまで開かない。
登山記録はスマートウォッチと測量野帳任せ。
最初は少しソワソワするんですが、不思議なもので、しばらくすると頭のノイズが減っていくんです。
- 通知もない
- SNSもない
- 誰かのキラキラした人生も流れてこない
あるのは、呼吸、風、鳥の声、そして足の痛みくらい。
でも、それが妙に気持ちいい。
現代人って、情報を食べ過ぎて、ちょっと胃もたれしてるのかもしれません。
途中、
- ありがとう
- 感謝しています
と、小さく呟きながら歩くこともしていました。
疲れてくると、人間わりと簡単に荒むので。
- なんでこんなことしてるんだろ
- もう帰ろうかな
- ロープウェイ、乗っちゃおうかな
そういう愚痴や迷いも普通に出ます。
だからこそ、感覚に戻る。
少し温かい言葉を、自分に向ける。
それだけで、心は意外と暴走しにくくなるものです。
東洋医学では、不調というのは突然やって来るというより、“感覚への鈍さ”から始まることが多いように感じています。
- 疲れているのに気づかない。
- 無理しているのに止まれない。
- 怒っているのに飲み込んでしまう。
そうやって少しずつ、自分との対話が途切れていく。
鍼灸師として日々感じるのは、「健康」とは単に元気な状態ではなく、“ちゃんと気づけること”なのではないか、ということです。
今回の弥山4往復は、体力的にもかなり自信になりました。
「あと1往復いけるな」と思った自分に対しては、若干の恐怖もありますが。
ただ、本当に持ち帰りたかったのは、「4往復できた」という達成感よりも、欲や怒りや迷いに飲み込まれそうになった時、「あ、今そうなってるな」と気づいて、呼吸と感覚へ戻れたこと。
よりよく生きるって、たぶんそういう地味な反復なんだと思います。
派手さはないけど、案外それが、一番効く養生なのかもしれません。
ということで――
1日遊んでくれてありがとう、「自分」くん。
東京にいた頃、奥多摩の 雲取山 から奥多摩駅まで、30km以上を歩いたことがあります。
食料はおにぎり2つ。
薄底シューズで、累積標高2000m超。
今思えば、「何を目指していたのか」と少し心配になる装備です。
でも、あの時やっていたのは、単なる登山ではなかった気がします。
疲労、空腹、不安、見栄、焦り。
長く歩いていると、自分の中にある“余計なもの”が次々と浮かび上がってくる。
そして、それを身体の感覚を通して観察していく。
「身体を通して自分を観察する旅」
今振り返ると、あの頃からずっと、歩くことを使って、自分の心を整えようとしていたのかもしれません。


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