人生は虚しい。自信があっても、やりたいことが山ほどあっても、何億も稼いで成功していても、しんどいものはしんどい。何も持っていなくても、もちろんしんどい。どちらに転んでも苦しいのだから、人生とは実に公平にできている。ちなみに私は何億も稼いだことがないので、成功者の苦しみは想像で書いている。想像だけで書けるのも才能だが、誰も認めてくれないので自分で褒めておく。脳内自給自足万歳。
そして、必ず終わりがくるのが苦しみを倍増させる。せっかく積み重ねてきたのに、やりたいこともまだ沢山あるのに、である。2024年、パリ五輪を数週間後に控えたイギリスの自転車選手、ケイティ・アーチボルドは、自宅の庭の段差でつまずき、脛の骨を折って足首を脱臼し、そのまま欠場した。リオと東京で金メダルを取った選手である。四年に一度の舞台を奪ったのは、強豪でも大事故でもなく、ただの段差だった。人生の幕引きも、たいていこのくらい雑だ。神様に抗議したいが、窓口はどこにも見当たらない。
追い打ちをかけるのが、替えがいくらでもいるという事実だ。ジョブズがいなくても、アインシュタインがいなくても、社長のあなたがいなくても、世界はそれなりに回る。ましてや私など、言うまでもない。東京の外苑前で二十年、逆子だけでも随分みてきたつもりだが、私がいなくても逆子を診る鍼灸院はそこここに転がっている。街は何事もなかったように回る。少しは困ってほしいが、それを言うほど性格が悪いと思われたくない。そこは毒を飲み込んでおく。いや、本当は少し吐いた。
だから、替えがきくしんどい者同士、他人と比べてごちゃごちゃ言うのはやめにしたい。頑張っても頑張らなくても、自分なりの生きやすさは必ずある。大切なのは、自分から目を背けないことだ。スナフキンは言う。正確には、作者のトーベ・ヤンソンが言わせているのだが、「大切なのは自分のしたいことを自分で知っていることだよ」と。ところが私たちは、好きまで他人に委ねすぎている気がする。流行りの娯楽やメディアの煽りに、無理して自分を合わせる必要はない。コメディアンのスティーヴン・ライトは、意識を「昼寝と昼寝のあいだにある、あのわずらわしい時間」と言った。マジ真理である。人間とは、その程度の代物らしい。私など、自分探しにインドへ行き、パナマへ行き、山奥で農業までしたが、ことごとく中途半端に終わった。探しに行った真理は、実は布団の中にあったわけだ。鍼灸だけは三十年近く続いているが、好きなのか、他にできなかったのか、いまだに判別がつかない。でも、それでいい。
人生なんて、あっという間。何をやろうがやるまいが、毎日は過ぎていく。広島に戻って開業したが、患者さんは驚くほど来ない。それでも朝は来て、お腹は減る。そんな私を不憫に思ってか、死後の世界がどうとか、この石を持てとか、この水で運気が上がるとか、親切な人たちが手をとって教えてくれる。東京でその手の素敵な方々には散々出会ってきたので、もはや全く興味がない。石で人生が変わるなら、売っている本人がまず幸せなはずだが、たいていは苦虫を噛み潰したような顔をしている。そんな方々とは距離を置き、昼寝と昼寝のあいだを淡々と過ごし、死ぬまで生ききる。そこにあれこれ意味を持たせない。多分、人生はそれだけで十分なのだと思う。


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