獣性まみれの私が、仏性について語ってみた

獣性と仏性の間で揺れる心を表した、広島・府中町の七施鍼灸院ブログのアイキャッチ画像 考えていることについて

人の心には「獣性」と「仏性」という二つの性質がある、と昔、何かの本で読みました。書いていたのは確か、元僧侶の小池龍之介さんか、スマナサーラ老師のどちらかだったと思います。かなり前の話で定かではありませんが。覚えているのは、獣性とは本能的な欲や怒り、愚かさのこと。仏性とは、その衝動を「あ、今イライラしてるな」と静かに眺める、穏やかな観察の目のことです。

三年ほど前、この話を「獣性と仏性の間で」というブログに書いたことを思い出し、あらためて考えてみました。人に優しくありたいと思う自分と、あいつが憎いと思う自分。私の中には、その二面性が腹立たしいほど同居しています。社会的に抹殺されると分かっているのに不倫を繰り返す人、炎上上等とばかりにネットで喧嘩を売り、誹謗中傷を重ねる人。自制心は前頭前野の仕事ですが、分かっていても止められないこの獣性こそ、実は私たちの「表」の顔かもしれません。

さて、獣性は抑えつけるな、悪者にして排除するな、ともその本には書かれていたように思います。排除しようとすること自体が新たな執着、つまり怒りや苦しみを生むからだそうです。だとすれば、世の中で一番厄介なのは、自分の獣性を認めず、正義の旗を振り回している人かもしれません。他人を叩いているときのあの高揚感は、私にも覚えがあります。まぎれもなく獣性祭りの開幕の合図です。「私は聖人です」という気取った顔ほど、信用ならないものはありません。三年前の私も「平然と正義を振り翳す人を信用しない」と書いており、その考えは今も変わりません。親鸞さんの「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」にも通じ、自分の弱さを知る人のほうが人にやさしくなれるのだと、ようやく腑に落ちた気がします。

では私はというと。来年還暦だというのに、獣性は一向に定年退職してくれません。SNSのけしからん投稿を見つけては、スマホに向かって説教を考え始める始末です。「今、怒っているな」と眺める仏性は、とっくに寝ています。瞑想を試しても、静かに座れば座るほど、湧いてくる怒りに油を注いでしまい、我ながら学びの浅さにあきれて、落ち込むことしばしばです。しかも鍼灸師のくせに、自分の肩と腰は後回しの紺屋の白袴。体のコリも心と同じで、抑えつけて無かったことにした不調ほど、あとでまとめて請求書を持ってきます。見て見ぬふりのツケは、利息が高い。……と、さりげなく言っておきます。

結局、裏も表もひっくるめて私なのだと素直に認める。それが日々の「しんどさ」を和らげる、いちばんの工夫になりそうです。獣性は飼い慣らすものだと言われますが、私の場合は、ときどき散歩に連れ出して、いじけたら「今日もお疲れさま」と餌をやる程度で手を打っています。立派な人間には程遠いまま人生を全うしそうなので、そこは来世で挽回することにして、今世は立派でない自分を眺める目を、のんびり養うことにします。同じように獣性をお持ちの凡人のみなさま、心と体のコリを見て見ぬふりせず、お灸のけむりでも眺めにきてくださいませ。


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