「肝を瀉す前に」少し立ち止まって考える|妊婦さんの本治法と難経七十五難

妊婦さんの本治法を難経七十五難の視点から考える 治療や健康について

「肝を瀉せばいい」だけでは終わらない

妊婦さんを診ていると、

「これは六十九難だけでは説明しきれないな。」

と感じる場面が、ここ数年ずいぶん増えました。

私は普段、本治法では難経六十九難を軸に治療しています。

「虚すればその母を補い、実すればその子を瀉す。」

鍼灸では、とても基本となる治療原則です。

私自身も長く、この考え方を中心に臨床を続けてきました。

というより、
「本治法は六十九難だけ覚えておけば十分。」

昔は本気でそう思っていました(笑)。

ところが妊婦さんを診続けていると、その気持ちが少しずつ揺らいできたんです。


妊婦さんには「熱がある」のに「弱っている」人が多い

先日の逆子治療の勉強会のあと、グループLINEである患者さんについて質問をいただきました。


先日、東京で開催した逆子治療勉強会のあと、参加者の先生方からたくさんの質問をいただきました。今回のお話も、その中の一つがきっかけです。勉強会当日の様子は、こちらにまとめています。


第一子では重い悪阻と切迫早産で長期入院。

「二人目は穏やかに過ごしたい。」

そんな思いで鍼灸を受けてくださった方だそうです。

症状は、

  • 強い悪阻
  • 腰痛
  • 冷えのぼせ
  • 熱がこもる感じ

妊婦さんでは本当によく見かける状態です。

最初に思うのは、

「肝が亢ぶっているな。」

「熱証かな。」

そんなところでしょう。

でも、その一方で、

「そこまで実している感じでもない。」

「でも腎の変動がすごく気になる。」

……なんとも説明しにくい。

ここで六十九難だけでは、少し苦しくなることがあります。


元気そうに見える。でも、かなり頑張っている。

妊婦さんには、

  • イライラする
  • 眠れない
  • のぼせる
  • 熱がこもる

そんな実証のような症状がたくさんあります。

でも身体を診ると、

「いやいや、かなり頑張ってますよね……。」

という方が本当に多い。

当たり前です
お腹の中で一人育てているんですから。

血も気も、自分だけのためには使えません。

だから私は、

実証に見えるけれど、土台は虚なのではないか。

そう考えることが多くなりました。

そして、その土台を丁寧に追いかけていくと、どうしても六十九難だけでは説明がつかない場面に出会うようになりました。


そこで思い出したのが七十五難

難経七十五難は、真剣に考えれば考えるほど少し混乱します。

「肺虚肝実」という証を立てたのに、

治療は、なぜか腎から始まる。

「えっ? 肺と肝の話じゃなかったっけ?」

「なんでここで腎くんが出てくるの?」

初めて読んだ時は、そんな感想しかなかったように思います(笑)。

六十九難なら、

「肝が亢ぶっているなら、どう瀉すか。」

という発想になります。

ところが七十五難は違います。

「その肝、どうしてそんなに頑張っているの?」

と問いかけてくるのです。

そして答えは、

「まず腎を補おう。」になります。

腎水が充実すると心火が静まり、

心火が静まることで肺金が力を取り戻し、

肺金が働けば、ようやく肝木も落ち着いてくる。

……なんとも遠回りです(笑)。

東洋医学って、ときどき、

「そんな回り道する?」

とツッコミたくなるくらい理屈っぽい。

でも臨床では、この回り道が妙にしっくりくることがあります。

頑張りすぎている肝を無理やり押さえ込むのではなく、

弱っているところを少しずつ立て直していく。

すると結果として、肝も自然と落ち着いてくる。

まるで周りの経絡くんたちが、

「そんなに一人で頑張らなくていいよ。」

と、肝にそっと声をかけているようにも感じるのです。


「肝実」ではなく「肝旺」と考える

だから私は、妊婦さんでは「肝実」というより、「肝旺」と考える方がしっくりきます。

肝そのものが余っているのではなく、

身体全体が少し無理をしている結果として、肝が亢ぶって見えている。

だから考えるべきなのは、

「どう瀉すか。」

ではなく、

「なぜ亢ぶったのか。」

なのだと思います。

高ぶりだけを見るより、

その背景を見る。

七十五難は、その視点を与えてくれる難なのではないでしょうか。


六十九難では見えないものが、七十五難では見える

私が妊婦さんで七十五難を考えるようになった理由は、実はここにあります。

六十九難では、肝実の脈証は次のようになります。

六十九難

肝:実
心:実
脾:虚
肺:虚
腎:平

つまり、腎は「平」と考えます。

ところが七十五難では、

七十五難

肝:実
心:実
脾:平
肺:虚
腎:虚

同じように肝が亢ぶって見えていても、腎を「虚」と捉えるのです。

妊娠中は、お母さんの身体が赤ちゃんを育てています。

もともと腎に負担がかかりやすい時期です。

そう考えると、

私は七十五難の方が、妊婦さんの身体を素直に説明できるように感じる場面が少なくありません。

症状を治すというより、

その症状が生まれた背景を治す。

七十五難は、そんな視点を与えてくれる難なのだと思っています。


妊婦さんだからこそ七十五難が生きる

例えば肺虚肝実なら、

復溜を補い、

行間を瀉す。

……いや、

肺虚なのに肺じゃなくて腎から補うって、

最初は「?」と思いますよね(笑)。

でも、それで肝の亢ぶりが落ち着く患者さんを何人も診てしまうと、

理屈より先に、

「難経、すみませんでした。」

という気持ちになります(笑)。

だから最近は、

妊婦さんを診るたびに、

七十五難を使うかどうかで迷います。

昔は迷いませんでした。

六十九難しか知らなかった、と言った方が正しいかもしれません。

でも今は、

その「迷う時間」が増えたこと自体が、自分の臨床が少し変わってきた証なのかもしれません。


妊婦さんは「頑張りすぎている身体」

妊娠は病気ではありません。

でも、お母さんの身体は、想像以上に働いています。

だから、

  • 悪阻だけを見る。
  • 腰痛だけを見る。
  • 熱だけを見る。
  • 冷えだけを見る。

そうではなく、

「なぜ今、この状態になったのだろう。」

そこまで考えることが、本治法では何より大切なのだと思います。

難経七十五難は、

「見えているものだけを追いかけるな。」

そう教えてくれる難なのかもしれません。

六十九難は、今でも私の本治法の軸です。

でも妊婦さんを診ていると、ときどき七十五難が横からそっと顔を出して、

「今日は六十九難じゃないよ。」

と、小声で話しかけてきます。

その声を聞き逃さない鍼灸師でいたい。

最近、そんなことを思っています。

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