先日、街を歩いていて、ふと思ったことがある。
桜が少し散り始めた頃で、観光客も多く、街はにぎやかだった。
でも、その中で感じたのは、
「人はそれぞれ、いろんなものを抱えて生きているんだろうな」ということ。
家族も、そう。
一見、何も問題がなさそうに見えても、どの家にも、それぞれの「大変さ」がある。
子どものこと、
健康のこと、
仕事のこと、
将来のこと。
形は違うけれど、
みんな何かしらを抱えながら、日々を過ごしている。
そして思う。
その「大変」は、
ただつらいだけのものではないのかもしれない、と。
もちろん、しんどいものはしんどい。
逃げたくなることだってある。
でも、
その一つひとつを、なんとかやり過ごしながら進んでいく中で、家族の距離が少し近づいたり、言葉にしなくても通じるものが増えたり、
気づけば、
前よりもつながりを感じることがある。
我が家も、
子どもの事故や産後のトラブルなど、「こんなに涙が出るのか」と思うような経験があった。
でも、
そういう一つひとつの出来事が、結果として、家族を“家族にしてくれた”。
そんなふうに感じることも多々ある。
そして同時に思うのは、
私たちは「幸せには鈍感で、不幸には敏感」なのかもしれない、ということ。
うまくいっているときや、何も問題が起きていないときには、それが当たり前のように過ぎていく。
でも、
ひとたび何かが起きると、その重さや苦しさには、強く心が反応する。
だからこそ。
大変な時間の中で、
人とのつながりや、支え合いに触れたとき、あらためて気づくものがあるのかもしれない。
「絆が深まる」と言うと、
きれいごとに聞こえるかもしれない。
実際には、
ぶつかったり、反発したりしながら、お互いを少しずつ理解し、認め合っていくしかないからだ。
隠しきれない感情をやり取りする中で、距離感を探りながら、やがて自然と尊重できるようになっていく。
もちろん、家族であっても他者。
気持ちを思い通りに変えることはできないし、向き合い方によっては、距離ができてしまうこともある。
それでも、
そうした時間の積み重ねが、あとから振り返ったときに、「つながり」として残っていることもある。
すべてがうまくいくわけではない。
関係が離れてしまうことだってあるし、今まさに大変な状況にいる人に、簡単に「頑張って」とは口が裂けても言えない。
でも、
今のこの時間が、ただの苦しさだけで終わるものではないかもしれない、ということは伝えたい。
それが終わったあとに、
ほんの少しでも何かが残るとしたら、それはきっと意味のある時間になる。
その先にあるものは、
家族としての強さになるかもしれないし、人としての深さにつながるかもしれない。
街を歩きながら、
昔から変わらないものと、
たえず変化する今を生きる人たちの営みが重なって見えて、
「人って、こうやって繋がっていくんだな」と思った次第。

大変なことは、できればない方がいい。
でも、もし今、何かを抱えているなら、それはきっと、無意味なものではない。
焦らなくていい。
無理に前向きにならなくてもいい。
ただ、ひとつずつ。
その人なりの、家族なりのペースで、まわりの力も借りながら、進んでいけばいい。
その先にあるものは、
きっと、思っているよりもあたたかいものだから。
応援しています。


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