うちは子ども4人の6人家族。
今ではみんな成人し、それぞれ遠くに羽ばたいていきました。
正直、こんなに大家族になるとは思っていませんでした。
最初は「兄弟はいたほうがいいかな」程度に考えていたくらいです。
私が鍼灸師とあん摩マッサージ指圧師の免許を取得したのは1998年。
気づけばもう30年近く経ちます。
鍼灸学校に通っていた頃はまだ長男だけで、高田馬場の整骨院に勤めながら夜学に通っていました。
その頃のことです。
治療をさせてもらってた90歳近い女性に、何気なくこんな話をしました。
「子どもが多いと時間的にも経済的にも大変だから、一人か二人くらいで十分だと思うんです」
するとその方はこうおっしゃいました。
「それは神様が決めること。子どもの数なんてあなたが決めることじゃないのよ。子どもが自分の食い扶持を持って生まれてくるんだから、生まれてきた子をただ育てればいいだけなの。」
その言葉に私は「なんとかなるのかもしれない」と思ってしまった私です。
(今思えば、少し怖い勘違いだったのかもしれません…笑)
そんなこんなで気づけば子ども4人とともに歩んでいくことになりました。
子育てで意識してきた二つのこと
私が子育ての中で強く意識してきたのはこの二つ。
⭐️「生まれてきた子を育てるだけ」
⭐️「子どもは預かりもの」
生まれてきた子を育てるだけ
これは私がよく考える「死ぬまで生き続ける」ということと重なります。
「生まれてきた子を育てるだけ」
「死ぬまで生き続けるだけ」
どちらも当たり前のことですが、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ生まれてきた子を育て、死ぬまで生き抜くことこそ尊いのだと思っています。
だから私は「四の五の言わず、生まれてきたんだから育てるしかない!」という考え方です。
そんな私なので、出生前診断とか、正直その意味をどう捉えるべきか迷います。
検査で不安が減るなら意義はあるでしょう。
けれど妊娠期に心配事を増やすことにならないか、とも思うのです。
私自身も最初は「男の子がいい」「女の子がいい」と思っていました。
でも妊娠が進むにつれて「元気でいてくれればそれでいい」と考えるようになり、最終的には「息さえしていれば、あとはなんとかする」と思うようになりました。
この気持ちの変化こそ、本来の親心なのかもしれません。
実際には、生まれてからのほうがずっと大変なことが多いです。
見た目は元気でも集団生活が難しい、学習障害がある、衝動的に攻撃してしまう……。
そんなとき親は「自分の育て方が悪いのでは」と責められているように感じることもあります。
けれど多くは脳や体の問題であって、親のせいではありません。
なので生まれる前から障害があるとかないとかあれこれ思い悩むより、どんな子どもだろうが「生まれた子を社会に返すまで育てきる」ことが大事なのだと思います。
子どもは預かりもの
もう一つ、いつも心にあるのは「子どもは預かりもの」という考え方です。
よく「子どもは授かり物」と言われますが、私は「神様からの預かりもの」と考えるようになり、気持ちがとても楽になりました。
子どもは自分の所有物ではなく、社会から一時的に預かっている命。
そう考えると「自分が育てなければ」と思い詰める必要はなく、社会で自分の足で歩いていけるよう導いていけばいいだけだと思えるのです。
子育てでは、多かれ少なかれ自分ではどうにもならないことに直面します。
そんなときに思い出したいのが「子どもは神様からの預かりもの」という視点です。
頭でごちゃごちゃ考えるより、その子に合わせて育てていけばいい。
子どもは親の所有物ではありません。
大切な命を一時的に預かっているだけ。
だからこそ、その子なりの生きやすい場所を一緒に探しつつ、しっかり自分の足で歩いていけるようになるまで育てていく、、
それが親の役目なのだと思います。
幸い、私にとって子どもたちはどの子も尊敬できる人物に成長しました。
それだけでも本当にありがたいことだと感じています。

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