今日はこの勉強会に先立つ予習会に参加しながら考えたことを書いてみますね。

録画していたNHKの「はなしちゃお!〜性と生の学問〜 2026年号『分べん体位』『女性器』」という番組を観ました。
正直、タイトルだけを見ると
「NHK、だいぶ踏み込んできたな……」と思いましたが(笑)、内容はかなり真面目で、しかも面白い。
番組では、17世紀ヨーロッパで「難産の対策として、仰臥位(あおむけ)での分娩が主流になった」という話が紹介されていました。
それ以前はというと、蹲踞の姿勢だったり、産綱を使ったり。今で言うところのフリースタイル出産が、むしろ当たり前だったそうです。
番組の中では、中目黒にある育良クリニックの和室も紹介されていました。フリースタイルでの出産ができる場所で、今も続けていらっしゃるようですね。
(余談ですが、芸能関係の方、アクティブバース率……高い気がするんですよね。気のせいかもしれませんが)
番組を観ていて、特に印象に残ったのは「自らの意思で産む」という言葉でした。
妊娠・出産・子育ての中で、女性が本来持っていたはずの「選ぶ力」。
でも現実には
- 安全のため
- みんなそうしているから
- リスクがあるから
そんな言葉に不安を感じ、気づかないうちに「自ら出産する」という感覚そのものが、選択肢から消えていく。
男性の私が言うのもおこがましいですが、アクティブバースの話をよく聞いてきた身としては、その選択をしてきた人たちの話を聞くたびに、「別に、どこで産んでもいいんだけど……、最初からそれを知らなかったら、やっぱりもったいないよなぁ」と感じてしまいます。
本来、動物としては、生存欲求と同じくらい種族保存の欲求があるのは自然なはずです。
それなのに
- 大変そう
- リスクが高い
- やばい
そんな言葉が前に出すぎて、全部まとめてネガティブに処理されてしまうのは、どこか違和感があるのです。
少し話はずれますが、男性側を見ていても、気になる変化があります。
リアルな女性にあまり興味を持たず、2次元・2.5次元・バーチャルな世界で、性欲や欲求を“処理”して満足できてしまう人が、確実に増えている。
正直、これはかなり怖い話だと思っています。
身体から湧き上がるはずの性的エネルギーが、バーチャルな世界で小さく小さく発散されて、「まぁ、これでいいか」となってしまう。
その結果、わざわざ本物の人間関係(男女関係だけでなく、友人関係も)や、身体性そのものを求めなくなる。
「個を大切にする」という言葉の裏で、“バーチャルで小さく生きること”が、いつの間にか正解になっていないかな。
そんなところに、私は強い違和感を覚えてしまいます。
身体の話で言えば、膝や腰も同じです。
本当は
- 膝なんて一生もつ。
- 腰だって、本来はもっと丈夫。
それなのに気づけば、
- 消耗して当たり前
- 壊れて当たり前
そんなイメージが、メディアや情報から、あるいは、それに影響された身近な人を通して、必要以上に刷り込まれている気がします。
これもまた、「そういうものだよね」と、いつの間にか選ばされている常識なのかもしれません。
ちなみに、私が広島に来た理由のひとつには、将来必ず訪れる「死」を、ちゃんと見据えて生きてみたかった、という思いもあります。
すでに還暦前。そういうことを考える年齢でもあります。
(あ、深刻に受け取らないでくださいね。死については散々考えさせられたので、最近はわりと軽いノリです(^◇^;))
生活をダウンサイズしたのも、今思えば、東京で感じていた「現状維持バイアス」への、小さな抵抗だったのかもしれません。
- このまま日本は栄え続けるはず。
- 世の中は、そう簡単には変わらないはず。
そんな空気に流されそうになる自分に、あえて問いを投げてみたかった。
- このままでいいの?
- それ、本当に普通?
そんな問いを、暮らしの中で、こっそり自分に投げかけながら生きています。
最近は、こういう話をしていると、「気づき」をくれる人に出会うことも増えてきて、それがちょっと嬉しかったりします。
妊娠・出産・身体・欲求。今回あらためて考えてみて、やっぱり、生き方って全部つながっているな、と感じているところです。
「選ばされている選択」ではなく、「自分で選んだ感覚」を、どこまで持ち続けられるか。
あるいは、取り戻せるか。
妊娠出産から見えてくる、いろんなこと。
東京スキンタッチ会のオプチャで、ちょい好き勝手に話してましたが、今回の勉強会を前に、いろいろ考えているうちに、自分の中で話がどんどん飛躍していって。
いろんな人と話をしながら、今、自分が感じていることを、あえて整理せず、そのままここで書き連ねてみました。

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