子どもは「授かりもの」?「預かりもの」?

東良美季さんの『猫の神様』(講談社文庫)にこんな言葉がありました

主人公がある売れないミュージシャンに尋ねたこの言葉

お子さん生まれて大変じゃないですか?

 「………正直子供なんて作ってええんかなと思たで。………でも実際生まれて抱いてオムツ代えとかしてるやろ、そしたら『これはちゃうわ』って思てん。………ただ、神様がある時期俺たちに預けてくれたもんやろと。だから親には義務があんねん。預かったものやから、子供をしっかりと育てて社会に出してやる義務がな」

「子どもは授かりものではなく“預かりもの”」

この言葉に、思い当たる方もいらっしゃるかもしれません

たしか昔、テニスプレイヤーの伊達公子さんのお母さまも、「神様」のかわりに「社会」という言葉を使って似たようなことを話されていたと記憶しています

いずれにしても、
子どもは私たちのもとに“しばし預けられている存在

そんなふうに考えてみると、
子育ての景色がほんの少し変わる気がするのです


そういえば

わが子のひとり、2歳のときに大きな交通事故に遭ったことがありました
あまりの衝撃に気が動転してしまい、気づけば涙があふれて止まらなかったのを覚えています

それ以来、子どもに対してはもう、これただ一つ
生きていてくれるだけでありがたい

子育てをしていると、本当にさまざまな事に出会います
なかには、自分の力ではどうにもならないことも、少なくありません
いやそればかりかも(^◇^;)

そんなときに、ふと思い出すのです
どんな子が生まれてきたとしても、その子は神様からの「預かりもの」だということを

頭でいろいろと悩むよりも、
目の前の子どもの「好き」や「今」に寄り添ってみる
それだけでも、子育てってずいぶん違ってくるのではないでしょうか

神様からの預かりものだと考えれば、
その家庭にとって子どもは“もっとも必要な存在”としてやってくる
そんなふうに思えてくるんじゃないでしょうか?

家族がともに影響し合い、成長していくために出会った“同志”
子どもは、そんな存在かもしれません。¥


元気な子が生まれても、
病気がちな子が生まれても、
ただ、その子が社会の中で“その子らしく”生きていけるように、
そっと寄り添い、育てていく、、

それだけで十分なのかもしれません

「ちゃんと育てられるだろうか」
「教育費は大丈夫かな」
「先天的な病気があったらどうしよう」

そんなふうに、頭で考えれば考えるほど、不安は尽きません

でも、そうした“思考の不安”よりも、
もっと大きな、“心と心のつながり”がある

きっと何かのご縁があって、
この子はこの場所を選んで生まれてきた

それは、おそらく
必要であり、必然、、

そう考えてみれば
「こうでなきゃ」
「こうあるべき」
といった思い込みを、
そっと脇に置くことができるかも、、です

そして、目の前のその存在を、まるごと感じてみる

そんなふうに子どもと向き合ってみるのも、
悪くないのではないでしょうか


「知る」ことは、「感じる」ことの半分も重要ではない

レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』にも通じると思っています


またまた、わが子の話で恐縮ですが、、

生まれたとき、体重は3500g近くありながらも、肺がまだ十分に成熟しておらず、NICU(新生児集中治療室)に入院することになった子がいます

あのときの立てなくなった経験、
気が動転して動くことができなくなってしまいました

事故のときは、気が動転してしまって記憶が飛んでいるのですが、
このときは、それとは少し違っていました

腰が抜けるような感覚に襲われていた私に、
新生児科の先生が、こんなふうに声をかけてくれました

「今、私が何を言っても、たぶん心には届かないでしょう。
だから、このお子さんに触れてみてください。
この子が“生きよう”としているのが、きっと伝わってきますから」

その言葉に導かれるように、そっとわが子に手を添えてみたら、、

その瞬間、心の奥底から、
あぁ、この子は生きたがっている。もう大丈夫。心配しなくていい
という感覚が、ふわっと広がっていったのです

それが不安からくる希望的な思い込みだったのか、
本当に子どもの“力”を感じ取ったのか、、

今となってはよくわかりません

でもあのとき、たしかに私は子どもに触れることで安心できたたんです

その体験が、その後の子育てにとても良い影響を与えたと思っています


話があちこちに飛んでしまいましたが、、

子どもが増えれば、その分よろこびも増えます
でも同じだけ、悩みや試練もまた、自然とやってきます

誰もが“いい話”ばかりを語りがちですが、
本当に大切なことほど、言葉にできるようになるまでには、時間がかかるものなのかもしれません

けれど今、こうして少しずつ振り返ってみて思うのです
どんな形であっても、生きていてくれること
それだけで感謝なんだと、、

どんな日々であっても、
子どもとともに歩んでこられたこと

それだけで、
ありがたいなぁ、っていうのを思いだしました

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