「子どもの声がうるさい!」
飛行機内でそんな苦情を言った人がいたな、って患者さんと話題に、、
正直、こういう子ども嫌い発言はスルーが一番だとは思うんだけど、、
話のネタにはなるんですよね(^◇^;)
子どもと一緒にいればね、
程度の差はあれ、そういう輩に遭遇するものですから、、
最近は、ネチネチと遠回しに攻撃してくる人が多いから、
結構ハッキリ言われるとね、逆に清々しいというか、、、
うん、ちょい言っちゃいやすいかも
(まぁ、心の中で煮えたぎっちゃって、なかなか清々しいなんて思えなかったですが、、)
確かに子どもはよく泣きます
それも、その小さな体から想像できないほど大きな声で、、
こちらも泣きたくなるほど、なんてしょっちゅうあったの、今でも覚えています
朝の通勤通学ラッシュ
結果が見えていてもね、連れ出さなきゃいけない日があるんです
心が折れそうになりながら、それでも子どもを守ってきた、、
ときには言い返してしまったこともあったけど、、
うん、子どものこととなると、やっぱり闘っちゃうんですよね
そんな輩に無視が一番と分かっていても、感情が追っつかない
子育て経験ある皆さん、少なからず同じような道を通ってきたんじゃないかなって、、
「通ってきた道」と言われても、慰めにはならないと思うけど、、
それでも、、、
応援してるよ!
みんな、がんばれー!
ほんと「ア・ウン」の呼吸に疲れる社会なんですよね、
日本って、、
おおらかで気丈なお母さん、、
そんな方でも電車の中で子どもがぐずっていたとき、近くのサラリーマンに小声で「うるさい」って言われて、落ち込んだっていうのを思い出しました
この国では「他者の目を気にすること」で秩序が保たれています
だから「ア・ウンの呼吸」への過剰な期待がある
空気を読む力を求められすぎて
「とかくに人の世は住みにくい」
な〜んて、、
今や子どもは少数派
「なんでこの時間に子どもを電車に乗せるの?」
「飛行機にこんな小さな子を?」
そんな無言の圧力が普通に共感を得られてしまうって、
なんて時代なんだろう??
できれば、この手の不満は年長者にはグッとこらえてもらいたいんだけどね
年長者も余裕なさそうで、
ほんと恥ずかしい限り
申し訳ない!!
そういえば
ドナルド・キーン先生が司馬遼太郎先生との対談『日本人と日本文化』(昭和47年初版)で語った言葉に、こんなのがありました
「恥ずかしいことはできない」ということだけで社会の秩序が保たれている、日本はまことに不思議な国だ
……なるほど、と思いながらも、ちょっとおかしくて、ちょっと深い。
引用ついでにもう一丁!!
明治時代、日本にやってきたアメリカの動物学者モースさん
彼の『日本その日その日』には、こんな一節があります
「赤ン坊が泣き叫ぶのを聞くことは滅多になく、又私は今までのところ、お母さんが赤ン坊に対して癇癪を起こしているのを一度も見ていない。私は世界中に日本ほど赤ン坊のために尽くす国はなく、また日本の赤ン坊ほどよい赤ン坊は世界中にいないと確信する」
たぶん、母親だけじゃなく、まわりの大人たちも辛抱強く子育てに関わっていたんでしょうね
だからこそ、「日本の子どもは行儀がよく、親切だ」と感心されたんだと思います
本来日本人の子育ては、コミュニティみんなでの、よってたかっての仕事だったのよ
昔は「取り上げ親」「乳付け親」「名付け親」「拾い親」等々、生みの親以外にも子育てに関わる“仮親”がたくさんいたからお母さんが孤立しなかった、、
社会全体で子どもを育てていたんだろうなぁ、って、、
子どもが少し大きくなると、「子供組」や「若者組」といった集団に入って、結婚までの時間を仲間と過ごす、う
地域での「ア・ウン」の呼吸が、自然と身につくようなしくみがあったんだと思うんです
かたや今のご時世、
人とのつながりを重視させられないで育ってきた子も多いから、、
そんな子どもが学校でいきなり集団行動を求められる、、
そして友達からいきなり「ア・ウン」の呼吸を求められてね、
フォローする大人の数があまりにも少ない状態で、縦割りもないのに子ども達任せであれやこれや、、
そりゃあ陰湿な「いじめ」も起きて不思議ではないわな
それで、、
起きた根っこのことを考えずに懲罰でなんとかしようとするだなんて、考えが浅い人もいまだに多いのが現状だったりする
こういう時にね「人」が出るよね「人」が…
いや、そんな話ではなくって(^◇^;)
子どもの声がうるさい、と思う人もいれば、守ろうとする人もいるからね
でも一つ言えるのは子どもは私たちの未来ということ
子どもたちの未来は私たち自身、、
そんな私たちの未来が安心できる社会であってほしいなって、つくづく思う今日この頃なんです
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