男の性欲、本当どうしようもない!!
人間の赤ちゃんは他の動物と比べて驚くほど未熟な状態で生まれてきます
これは「生理的早産説」として知られ、人類学や進化生物学の分野では一定の支持を得ている考え方です
人間の脳は非常に大きいため、もし赤ちゃんがもっと発達した状態で母体にとどまっていれば、産道を通ることができません
そのため人間は、骨盤とのバランスを取るように、未熟な状態で早めに生まれるという進化的な選択をしてきたみたいです
しかし、こうした未熟な出産は、育てる側にとっては非常に過酷です
特に医療や衛生が整っていなかった時代においては、赤ちゃんが無事に成長することはむしろ例外であり、多くの命が短い生を終えていました
言い換えれば、「多くが死ぬことを前提にした出産」という、厳しい現実があったのです
にわかには信じがたい話ですが、18世紀のロシアの農民、ヒョードル・ワシリエフの妻は、1725年から1765年の間に69人の子どもを産んだという記録があります
ギネスブックに掲載されたこともあるそうですが、あまりに古い話であり、信ぴょう性には疑問の声もあるみたいですが、、
とはいえ、当時において「多産」は生き残るための戦略でした
私の親の世代は「10人兄弟だった」という話も珍しくありませんでしたし、幼くして命を落とす子どもが珍しくなかった時代、たくさんの命を授かることは、一種の生命保険でもあったように思います
その一方で人間に最も近い類人猿、ゴリラやチンパンジーは、一生のうちに5〜6頭程度しか子を産みません
たとえばゴリラの場合、新生児の体重は約2kg、2〜3ヶ月でハイハイを始め、9ヶ月で歩き始めるみたいなので、人間より多産であっても良いように思うのですが、いかんせん離乳する3歳ごろまではメスがかかりっきりで子育てをするのでどうしても出産数が少なくなるみたいです
今と違って昔は医療も衛生も未発達で、赤ちゃんの死という、親にとって最もつらい現実がすぐそばにある社会だったというのも残酷すぎます
そう、人間は身近な人の死に触れながら「自分がいつか死ぬ」という事実を知ってしまった存在です
動物のように今だけを生きることができず、過去を悔やみ、未来を恐れながら生きていかなければいけません
なんと悲しい人間の宿命なのでしょう
すべての人は生まれた瞬間に「百年のうちに死刑は執行される、しかしその方法は伝えない」という残酷きわまりない有罪判決を受けるのです
中島義道(「死」を哲学する)
この言葉を初めて目にしたとき、背筋が凍るような感覚がありました
生まれながらにして「死」が定められているという事実を、これほど明快に表した言葉があるでしょうか?
「死刑を宣告された者として生きる覚悟」
だからこそ、人は「生きる意味」を探さずにはいられないのかもしれません
死を知っているからこそ、命を大切にする
失うことを知っているからこそ、愛することを学ぶ
そうした人間の営みは、決して理性だけで割り切れるものではないように思います
これほどの業を持ちたる身にてありけるを、助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ
親鸞
死を知ってしまった人間、、
人は、あまりにも悲しい「業(ごう)」を背負ってこの世に生まれてきます
その過酷な現実を前に、親鸞は「阿弥陀に身を委ねるしかない」と語りました
それは、生き切る覚悟であり、死ぬ覚悟でもあったと思うのです
そして親鸞聖人は、「凡夫であるがゆえに救われる」とも説きました
これは仏教の中でも極めてラディカルな思想のように思います
これを書きながら、愚かさや弱さを否定するのではなく、むしろ肯定し、抱きしめてくれるような親鸞の教えに癒されたのを思い出しました
そう、私はこの思想に慰められました時期があります
あまりにも極端で、変態的だと感じる人も多くいるであろう親鸞の教え
浄土真宗の門徒になる気持ちにまではなっていませんが、弱い私にこれくらいの変態さ加減を学ぶ必要はあったみたいです。
理性だけでは、乗り越えられない現実が、この世には確かにあります
そんな強さを持てない一人の人間として、、
仏や先人の言葉、そして同じように迷いながら生きる人々の声を支えにしながら、
今この瞬間を、迷いながらも生きていきたいな、なんて思っています
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