本物の金持ちって、
だいたいにおいて余裕があって、
だいたいにおいて感じがいい。
松濤に屋敷。
青山にビル。
家にはホームエレベーター。
「ビルを持ってる」というより、
「いま何棟目だったっけ?」という世界。
公立の小学校だったけど、場所柄もあるんだろうね、なんだかちょっぴり空気が違う。
今思うに、
どの学年にも、
「御三家?あぁ、何人か行ってたね」
「東大?医学部?あの子もあの子も」
という語りがなんとも完全に天気の話テンション。
でも、本当に驚いたのはそこじゃない。
親御さんが、ちゃんとしている。
それも驚くほどに。
子どもは難関中学へ。
小学生時分、ガリ勉かと思いきや、兄弟姉妹そろって至って普通。
勉強できて、学校行事はきちんと参加。
親御さんもPTAに積極的。
運動会も文化祭も、普通に全力。
塾も行く。
でも学校も大事にする。
一方で、
塾の宿題が忙しいから学校の宿題は減らしてほしい、
行事は時間の無駄、
親は学校に顔を出さない。
そんな家庭も、ゼロではなかった。
で、数年後。
まぁ、
結果はだいたい、皆さんのご想像の通りかな。
教育は「時間の投資」だと思っていたのかもしれないけれど、
実は親から子への「姿勢の投影」でもあったりするんだろうね。
ここまで突き抜けた人たちは、
子どもにお金をかけるだけでなく、時間も、関わりも、ちゃんと作ってた。
そんなんだから、
ポっと出の金持ちと比べてマウントを取る必要がない。
取らなくても、
もう山の上にいる。
世間でよく言われる
金持ち同士のマウント合戦。
あれはだいたい、
成金さんの公式競技。
ブランドロゴが大きいほど、
心は小さい。
これ、ほぼ自然の法則。
ニュートンもたぶん苦笑いしつつ頷いている。
そんな中、
収入も器も小さめな私が、
なぜか、器がバカでかい人たちのエリアの、家賃だけは広島基準でもなんとかなる優しいアパートに住むことになった。
今思えば、人生のバグ。
アップデートしても修正されないやつ。
収入も人格も桁違いの人たちに囲まれると、
比べようとする気力が消える。
というか、
「比べる」というアプリ自体がアンインストールされる。
そして普通に接するうちに気づくんだ。
どんなにお金があっても、
子どもが東大に行こうが、
みんな普通に悩んでいる。
眠れない夜もある。
夫婦で意見が割れることもある。
「これで合ってるのかな」と本気で迷っている。
そこでも、
子育ては
完全に平等だった。
うん。
そんな土地で子どもを育てられたのは、ラッキーだったと思う。
「与えること」が当たり前の人が多かったし、
何よりも、子育ての本質はどこでも同じだと知れたから。
田舎にも軋轢はある。
都会にも軋轢はある。
でも
どんな社会でも、
子育ては普通にしんどく、
普通に愛おしい。
あの街を思い出すたび、私は思う。
そこで子育てができて、本当に良かったな、って。
そして気づけば、
金持ちへの僻みも消え、
マウントを嫌味と感じなくなる、という
ちょっとした進化も、
いつの間にか済ませていた。
強くなったわけでも、悟ったわけでもない。
ただ、
「お金」よりも「向き合い方」が結局は生きやすさにつながるんだと知っただけ。
この自らの変化、
自分で自分を褒めても、たぶん天罰は下らないんじゃないのかな、って。

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