登山を始めた頃は、高尾山のような低山でも、靴から服までフル装備で出かけていました。
でも回を重ねるうちに、山を歩いている他の登山者を見ながら、中には高尾山や雲取山を裸足で歩いている人もいて、「やはり足づくり、体づくりそのものが大切なのではないか」と思うようになりました。
2024年5月4日
雲取山からの帰り、裸足のおじさんにまたまた遭遇。
座椅子によりかかって足を投げ出し缶チューハイでくつろいでいました。
かっこよすぎる!!
高性能登山ギアやファッション性にあふれるものに支配されたくないと思っている私なので、この辺りが最終形態のような気がしています。なのでとっても話をしたくって、、
地下足袋で歩いてみたり、ビーチサンダルでロングウォークをしてみたり。
いろいろ試す中で「ワラーチ」の存在を知り、そうこうするうちに、息子がそれをプレゼントしてくれました。

使ってみると、とても良い。
もちろん、足の裏は痛いです^^;
尖った石を踏めば、その刺激がそのまま足裏に伝わりますから、、
だから自然と足元をよく見るようになります。
結果、登山靴を履いていた頃より転ばなくなりました。
そういった経験があるので、サンダル履きで山を歩く人を見ても、「登山をなめている」とは一概には思えません。
羊蹄山に登ったときも、このワラーチで歩きましたし、しっかり訓練した上で、あえてそうした装備を選んでいる人もいると思うので、、
もちろん、知識も準備もなく登る人もいるとは思います。
でも、最新のギアで身を固めて歩く一方で、普段の体づくりや足づくりをまったくしていないのだとしたら、それは少し違うのではないか、と思うのです。
そういえば、
冬でも、あえて薄着で登ることがあります。
府中町の「呉娑々宇山」に、うっすら雪が積もった日に半袖で登ったこともあります。
そのときは、すれ違う登山客の方々に、ずいぶん驚かれました。
もちろん上着はリュックに入れています。
寒ければ、ちゃんと着ます(笑)
何をするにしても、最新のウェアや運動ギア、流行の靴やファッションだけでなく、自分の身体そのものをどう育てていくか。
筋力だけでなく、足底や皮膚、感覚そのものを鍛えていくことも、とても大切だと思うのです。
皮膚を鍛えるということ ― 東洋医学の視点から
東洋医学では、皮膚は単なる「外側の覆い」ではありません。
皮膚は、体を外界から守る最前線であり、同時に、外の変化を感じ取り体の内側へ伝える重要な感覚器官です。
皮膚の働きには「衛気(えき)」が深く関わっています。
衛気は体表を巡りながら、寒さ・暑さ・風・湿といった外界の刺激から、身体を守る役割を担っています。
この衛気がしっかり巡っていると、気温の変化にも過剰に振り回されにくくなりますし、自律神経の働きも自然と安定してくるので、不安に悩まされることも少なくなります。
反対に、常に厚着をして外界の刺激を遮断しすぎていると、皮膚が本来持っている「感じて、調整する力」は使われにくくなってしまいます。
薄着での登山は、無理をするためのものではありません。
寒ければ着るし、、危険を感じれば引き返すようにしています。
その判断を重ねながら、皮膚で季節や空気を感じる時間を持ちつつ、少しずつ登山に慣れていく。
それは東洋医学的に見れば、寒暑に順応し、外邪に対する耐性を育てる練習でもあるように思うのです。
皮膚が働くようになると、身体は「我慢」ではなく、「調整」によって環境に対応できるようになります。
登山を、単なる運動やレジャーではなく、気血を巡らせ、衛気を養い、自律的に整う身体を育てる場として捉える。
そう考えると、装備だけに頼らない登山の魅力を感じていただけるのではないでしょうか。

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