子どものおかげで適当になれた
自然は本来、怖いもの。
「ナチュラル」
「自然体」
今ではライフスタイルやファッションのキーワードとして、軽やかに使われていますよね
でも、私にとって自然という言葉は、もっと不安定で、予測不能なもの、、
いつ暴れ出すか分からない自然災害を思い浮かべてしまいます
そしてそれは、子育てにも重なる気がするんです
どこで何が爆発するか分からない——それが育児!
楽しいだけじゃない
むしろ、災害級の日々がしょっちゅう訪れます (^◇^;)
子育ては「思い通りにいかない他者」との暮らし
大人になって、小さな存在にここまで心をかき乱されるなんて、正直思ってもいなかったように思います
子育てが大変なことくらい分かっていたつもり
でも、「ここまで思い通りにならない相手って他にいる?」と思うこともしばしばあったような気が、、
ちゃんと子どもに向き合った経験があれば、人間関係に困らない気すらしますし、実際そうなっているような気がします
そう、、
なだめてもダメ
怒っても逆効果
煽っても無反応
全身で自己主張してくる子どもと向き合いながら、
気づけば私の中に“寛容さ”の芽が育っていったような気がします(たぶんね…^^;)
台風一過の空のような、子どもとの日々
まるで自然災害のような育児の日々を通り過ぎたあとに見える、晴れやかな空の青さ
ギャン泣きしたかと思えば、次の瞬間には満面の笑みでギュッと抱きついてくる、、
子どもって、親を操作するのがうますぎます
そんな一瞬に、胸がいっぱいになったことを色々思い出せますから、、
思い通りにならないからこそ味わえる喜びや感動、、
確かにそこにあったように思うのです
子育ても「自然と共に生きる仕事」みたいなもの
農業や漁業は天気を見て作業を変えますよね
子育ても、それと同じかな、って、、
「今、その子がどんな状態か」に合わせて、毎日を柔軟に過ごす、、
子どもは、“今”を生きているだけ、
過去でも未来でもない“今”だけを生きている、、
誰かと比べず、
その子自身の“今”だけを見つめて、ほんの少しの成長を喜べば、それでいい
うん、本当はそれだけでよかったと思うのです(^。^)
子育てで育った適当力
「子育て、大変だよね」って言われたら、全力でこう答えます。
「うん、めちゃくちゃ大変!!」
でもその大変さのなかで、私自身の“キャパ”は広がったように思います
思い通りには育たない、
でもどうしようもなく愛おしい“自然災害”みたいな子どもたちと暮らしているうちに、
私は“ちゃんと”から少し離れて、適当力を手に入れた気がします
きっちりじゃなくていい
完璧じゃなくていい
そう思えるようになったのは、私にとって大きな収穫だったかも、、
物の見方も、人生の“ものさし”も、確実に増えましたから、、
感謝をこめて
今の日本では、よほどのことがなければ飢えることはありません
だから、不格好でも、自分のペースで生きていけばいいと思うんです
なので、子どもたちにはただただ感謝
私に“生き方”そのものを見直すチャンスをくれたのですから
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