天上天下唯我独尊は“俺が一番”じゃなかった!

スーパーマン釈尊が何故に悶々とできたのだろう?

お釈迦さまと言えば、私は手塚治虫先生の『ブッダ』を思い出します。
とはいえ、正直なところ内容はうろ覚えです。

そんな中、以前参加した勉強会で心に残っていた「釈尊四大聖地」のひとつ、ルンビニーについて、、
じつはこの地、仏教会による支援と、世界的建築家・丹下健三氏の設計によって整備された場所だそうです。
こうしたエピソードを知ると、不思議とお釈迦さまがぐっと身近に感じられます。

ところで、「天上天下唯我独尊」という有名な言葉。
私がこの言葉に初めて触れたのは、確か“夜露死苦”のようなノリで、ヤンキー風ジャンパーに刺繍されていたのを見たときだと思います。
だから、「俺が一番だ!」という自己主張の強いセリフだと思い込んでいた節があります。

でも、仏教の教えに触れるうちに、この言葉の本当の意味を知りました。
「この世に生まれた自分が、命の意味を果たし、誰よりも尊い存在として生きるんだ」という、仏道を歩もうとする決意の表れだったんですね。
単なるオレオレ発言ではなく、人生に対する深い覚悟が込められていることを知って、印象ががらりと変わりました。

そして何より驚いたのが、お釈迦さまが生まれてすぐ七歩歩き、この言葉を口にしたという逸話。
すごい話ではありますが、正直なところ、あまりにも現実離れしていて「ちょっとついていけないな」という気持ちもあります。
王族に生まれ、何不自由ない暮らしをして、家庭も築いていた人が、ある日突然「このままではいけない」と出家してしまうなんて……

けれども、だからこそ思うのです。
すべてを手にしていたお釈迦さまが、なぜあえて苦行の道を選ばれたのか。
なぜそこまでして、生きとし生けるものに深い眼差しを向けようとされたのか。

お釈迦さまのことを考えながら、仏教の根底にある「自利」と「利他」を思い出しました。

お釈迦さまが出家を決意されたときの誓いとされる言葉、「我れ今まさに生老病死の根を断ずべし」
これは、「私は今まさに、人間の苦しみの根本である“生・老・病・死”の原因を断ち切る決意をする」という強い意志の表れのようです。

まずは自らを高める「自利」を実践し、その先に他者を救う「利他」へとつなげていく。
若輩者ながら、利他を意識するようになっている私にとって、色々と考えてしまいます。

生まれながらにして特別な存在とされながらも、人間の苦しみに悩み、迷い、そして道を探し続けたお釈迦さま。
そこに私は、人間らしさや仏教の温かさを感じていたり、、

今ある仏教の教えが、どこから来て、何を支えにしているのか。
その根っこにもう少し触れてみたくなりました。

今はちょっと忙しいので難しいですが、時間を見つけて勉強してみようかと思っています。

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