行動は、気分の解毒剤、絶望の防波堤なのです。
帚木蓬生著「生きる力・森田正馬の15の提言」を読んで思ったことを書きました
気分や感情というものは、その時々の流れや惰性、場の空気に大きく左右されがちです。つい「まあ、いいか」とお酒を飲みながらテレビをだらだら見てしまうこともあれば、やらなければならないことを後回しにして、結局自分の首を絞めてしまうことも多々あります。私自身、そうした怠惰な気持ちに流されてしまい、自分に嫌気が差すことが少なくありません。でも、おそらく誰しも似たような経験があるのではないでしょうか。人は多くの場合、その場の雰囲気に呑まれてしまうものです。だからこそ、気分や感情に頼って生きることには、どこか危うさがあると私は思うのです。
感情は本来一時的なものです。しかし、それに繰り返し刺激を与え続けると、まるで火に油を注ぐように膨らんでいってしまいます。たとえば、一度怒りを爆発させると、それが収まるどころか、ますます激しさを増してしまう。煽り運転がエスカレートしていくのも、同じ構造ではないでしょうか。さらに言えば、自分の中で作り上げた物語の主人公になりきって、感情を高ぶらせ続けた結果、他人の人生や自分自身をも壊してしまう——京アニの事件のような痛ましい出来事も、怒りという感情に執拗に燃料を注ぎ続けた末の悲劇だったのではないかとも考えてしまいます。
この本は、「気分や感情に振り回されないためには、とにかく行動することが大切だ」という、とてもシンプルなメッセージを伝えています。実際、感情が入り込む隙もないほど勢いよく動き続けていれば、いつの間にか怒りや迷いから解き放たれている、そんな経験を思い出す方も多いかと思います。だからこそ、「行動」を一種の処世術と捉える視点は、感情に左右されずに生きるための、有効な方法のひとつだと思います。
目の前の、どんなに些細なことでもいいから「やるべきこと」に手をつけていく。実は、その積み重ねこそが、人生を少しでも生きやすくするための実践なのかもしれません。これは禅寺での修行や森田療法にも通じる考え方で、私はそうした修行とは無縁ですが、その精神にはどこか共感できるものを感じてしまいます。
ふと思ったのですが、この感覚は、山歩きに似ているのかもしれません。山登りでは、目的地にたどり着くために、とにかく歩き続けるしかありません。一歩一歩、足元に意識を向け、息を切らしながら前へ進む。気がつけば、余計な思考はすべて消え去り、ただ「歩く」という行為そのものに没頭している。この本を読んで、なぜ私は、景色を眺めるためでも、山での食事を楽しむためでもなく、ただ歩くことそのものに惹かれるのか——その理由が少しだけ分かった気がしています。「行動」そのものにこそ、意味があるのだということを。


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