府中町の七施鍼灸院です。
光と陰。
光は大切。
でも、陰も大切。
これはもう王道中の王道。
どちらも欠かすことのできない陰陽思想です。
で、
本来、「陰」は悪いものではありません。
静けさだったり、休む時間だったり。
ところが、
「暗い」という言葉はなかなかの曲者。
使い方を間違えると、不平や不満を意味してしまう。
そして気がつけば、
「暗いなあ」とつぶやいている自分がいる。
んっ、
もしかして、
誰かが明るくしてくれるのを待ってます?
それ、
停電した部屋でブレーカーを見上げたまま、「まだかな〜」って言ってるのとあんまり変わらないかもしれません(笑)。
あの日は、
どうしていいのかわからないまま、何が正しいのかも、何をすればいいのかも分からず、テレビからは東北の生々しい映像が流れていました。
街の明かり自体は消えなかったけれど、
何処か、どんよりと重たい空気が流れていて、携帯はつながらず、電車もバスも止まっていて、ひたすら子どもや親戚の安否確認に追われていました。
それから何ヶ月ものあいだ、
夜のネオンは消え、明るい街にいながらも、気持ちはずっと暗闇の中。
ああ、
「明かり」って、ただ点いていればいいわけじゃないんだなぁ。
そんなことを思ったのを、ふと思い出しました。
幸せも同じなのかもしれません。
幸せは、
誰かが勝手にスイッチを入れてくれるものではなく、自分が動いて、ようやくカチッと点くもの。
しかも人任せにしていると、
ほとんどの場合、いつまで経っても点きません。
正直に言えば、
明るくいるのも、笑顔でいるのも、人を認めるのも、
なかなかエネルギーのいることです。
性格が悪いとかそんなんじゃなくて、ただ単に面倒くさい(笑)。
それでも今日も、
「幸せという明かり」を一つくらいは誰かのために灯してみたい。
そのために、
なるべく明るく、なるべく笑顔でいようと思うわけです。
今日だけじゃなく、
明日も、あさっても。
継続するのは本当に難しいけれど、そういうことをコツコツ続けていく。
それが巡り巡って世界平和につながる、
なんて言うと少し大げさですが、あながち間違っていない気もします。
もしも自分のために輝くなら、
灯台は船を導くことが出来ない。
―むのたけじ
この言葉、けっこう好きです。
自分のためだけの光は、誰の役にも立たない。
できれば、
誰かの進路をそっと照らせる、そんな灯台みたいな人でありたい。
理想論ですけどね。
なかなか難しい。
「何やってんだ!」って、
笑い飛ばすのは簡単です。
でも一度笑われた人は、もう二度と心を開かないことが多い。
だから、
結果が出ていなくても、不器用でも、ちょっとズレていても、継続している人を認めたい。
続けているという事実そのものが、もうすでに十分すごいことなのですから。
そういえば、
「人をほめること、認めることは、自らの幸福や幸運をつかむことにつながる」と、誰かが言っていました。
ほめるのって、
意外と難しいけれど、
人間関係はよくなるし、巡り巡って自分にも返ってくる。
もしそうだとしたら、
四の五の言わず、相手をほめまくっちゃいましょうよ。
笑顔をもって日なたをつくり、
「いや〜、面白いことやってますね」と一緒に喜ぶ。
そんな小さな明かりを、
今日も、明日も、コツコツ灯し続けていけたらいいな、と思っています。
ということで、
あの日の、あの重たい空気のことを思い出す今日この日。
震災から15年。
時間はずいぶん過ぎましたが、
あの日の空気は、まだどこかに残っている気がします。
3月11日。
今日もどこかで誰かが明かりを灯しています。

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